◎日本各地の埋蔵金


 日本の埋蔵金伝説は全国でおよそ数百! その中でも史料が存在し、ある程度の裏付けが取れるものを残していっても、その数はゆうに百件を超す。

 銀行など無かった昔、戦国時代から江戸時代へかけて、市井でも多くの金銀銭が日常茶飯として埋蔵され、また掘り出されていた。また祭祀などにあたって銭等を埋めることも多く行われていた。
 今日、工事現場などで偶然に発見され“埋蔵金”騒ぎとなるもののほとんどは、それら金庫代わりに地中に埋めていた銭が、当事者、またはその関係者の血縁までもが途絶えたりして、ついに掘り出されることなく今日まで至ったようなケースがほとんど。埋蔵金というより、いわば“埋没金”とも言えるものなのだ。

 ここで言う狭義での埋蔵金とはそれら埋没金とは異なり、当事者が意志を持って、お家の再起をかけ、はたまた子孫に残すべく埋蔵したが、なんらかの理由により、その機会が失われ、そのまま莫大な金銀がただただ地中で眠りについてしまったものを特に埋蔵金として区別されたい。

 我が国の埋蔵金伝説の中でも、特に有名な、三大埋蔵金と呼ばれる、「徳川埋蔵金」、「秀吉の埋蔵金」、そして「結城家の埋蔵金」は、まさにその埋蔵金の典型的なケースだ。ちなみにここに取り上げた日本各地の埋蔵金情報は、まだごくその一部で、現実には全国各地、埋蔵金伝説の無い地方を探すのが難しいくらい津々浦々で伝承されている。

 まさに埋蔵金でも「黄金の国、ジパング!」なのだ。

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 砂金の産地でもある北海道。今でも砂金掘りが楽しめるところがあったりと、金山にも注目できるが、埋蔵金では、先住民アイヌと内地人との抗争による財宝や、松前藩がらみの埋蔵金伝説などが残っている。

 東北の砂金を背景にこの地で勢力を誇った安倍氏だが、勢力拡大を恐れた朝廷により「前九年の役」で滅亡させられてしまった。この直前に、安倍氏は再建をきし財宝を兜明神岳に埋蔵したという。

 関東には埋蔵金の代名詞ともいえる“徳川埋蔵金”やこれまた「三大埋蔵金」のひとつとされる“結城家埋蔵金”など多くの埋蔵金伝説が残っている。赤城山以外にも徳川幕府関連の埋蔵金情報は数多い。

 百十九貫という莫大な黄金を算出し武田家を支えた、信玄の「牛の金鉱」黒川金鉱。圧倒的な財力をバックに信濃、駿河、西上野、遠江と勢力圏を広げた信玄は各所に軍資金を分散して埋蔵したという。

 東の徳川に対して、西はなんといっても秀吉。豊臣家の将来を案じた秀吉は大阪城内にあった4億5千万両を、多田銀山に埋蔵したという。こちらも傍証は多く、追う方も多い。歴史がある地域だけに伝承の数も膨大。

 中世の一大商圏であった瀬戸内海地方。数々の歴史に伴なって埋蔵金伝説の舞台になっている。鳴門茂衛門という大海賊の埋蔵金や瀬戸内海狭しと活躍した村上水軍の埋蔵金など。

 寛永14年の島原の乱で、原城に立て籠もった天草四郎。2ヵ月を越す長期戦でついに勇猛果敢な戦いを示した一揆軍も落城覚悟。6キロの黄金の十字架、金銀製燭台20基、宝石をちりばめた王冠、そして大判小判……。