◎関東地方の埋蔵金

Kanto


●結城家の埋蔵金(茨城、栃木県)
【埋蔵額】=竿金(二尺)二万五千本ほか
【埋蔵者】=結城晴朝
【埋蔵時期】=慶長年間
【埋蔵地1】=結城市大字結城
【埋蔵地2】=河内郡河内町
【背景】=十七代に渡って関東の地で栄え、さらには奥州征伐の功で藤原氏の財宝をも手中に収めた結城氏。しかしこの富に目を付けた家康の策謀で、実子の秀康を養子に送り込まれ、さらには関ヶ原の乱後「秀康の功をたたえて結城十八万石を越前福井七十五万石に転封」と体よく追い払らわれ、結城晴朝が財宝の温存を画策。かくして、結城の里に眠る巨万の黄金伝説が残された。
埋蔵場所としては結城城祉、そして最も有力と思われているのが晴朝が最後まで残っていた隠居所、河内町の 本吉田の会之田城祉、そして同じ栃木の小山市中久喜の西の城など。ちなみに家康は晴朝死後、福井城や結城城跡を探索させたが、発見できず後に吉宗も大岡越前を使って埋蔵金を探させていることで信憑性は高い。

●徳川幕府の埋蔵金(群馬県)
【埋蔵額】=三百六十万両
【埋蔵者】=小栗上野介ほか
【埋蔵時期】=慶応年間
【埋蔵地】=勢多郡赤城村
【背景】=度重なるTV放映等で、我が国の埋蔵金伝説の代表格となった赤城の徳川埋蔵金。推定される埋蔵額からもトップバッターといえる。
慶応四年、陸海軍の奉行を兼ねる勘定奉行であった小栗上野介は薩長軍に徹底抗戦を主張したが受け入れられず、知行所でもある上州権田村に引きこもったが、これは偽装で実は赤城山に幕府財宝を埋蔵したという。
時の大老、伊井直弼が討幕派と迫りくる諸外国に徳川三百年の財宝が奪われることを案じ甲州流軍学者、大学頭幕府学問所頭取、林鶴梁に命じて埋蔵を計画させたというのだ。実際に埋蔵に当たったのが小栗で上州各地には埋蔵金に関する言い伝えや物証が数多く残っている。
特に有力視された赤城山麓を始め、利根郡新治村猿ヶ京温泉、三国峠近く永井の宿場跡、沼田街道の片品村など、そのどれもが現在も発掘中だ。

●彰義隊の埋蔵金(東京都)
【埋蔵額】=小判十七万五千両
【埋蔵者】=彰義隊
【埋蔵時期】=慶応年間
【埋蔵地1】=荒川区三河島
【埋蔵地2】=台東区下谷
【埋蔵地3】=台東区上野
【背景】=官軍の進撃で風雲急を告げる情勢に幕府の造幣局、蠣殻町の金座・銀座から小判を運び出し、埋蔵したというもの。新鋳小判約十七万五千両。ここまでは詳しく分かっているものの、その埋蔵地は諸説有り。
一つは荒川区三河島。ここには幕府御用達の植木屋伊藤七郎兵衛の邸宅があったところで現在の宮地ロータリー。もう一つは下谷根岸のお行の松にあった旗本の隠居所跡。そして最後が現在の上野寛永寺の位置にあった輪王寺宮の別邸、ご隠居殿。
それぞれに、埋蔵金発掘にかけた男達の物語が残されており、時代が新しいだけにヒントは数多く残っている。 いずれの埋蔵地にせよキーワードは、「井戸の底」。

●里見家の埋蔵金(千葉県)
【埋蔵額】=砂金ほか
【埋蔵者】=里見忠義
【埋蔵時期】=慶長年間
【埋蔵地】=安房郡千倉町
【背景】=房総の地で十代に渡って繁栄を築き上げた里見家。その里見家十代藩主が大久保忠隣事件や鉄砲備蓄を口実に改易された慶長十九年。伯耆三万石に転封される前に、領内の砂金など財宝の多くを後日を期して各地に分散して埋蔵したという。
その一つが里見家の祈願寺である小松寺で、同寺には「朝日さす夕日輝くもろの木の下に、うるし千杯銭十億万貫あり。まことであるから掘り出せよ」と記された書があるという。
ただこのての言い伝えは全国至る所にあり信憑性の面では疑問もある。重大な秘密をわざわざ人に知られやすい形で伝承させるのは不自然では。同じ里見財宝でも安房鴨川近く愛宕山山麓、嶺岡山説の方が有力だろう。

●大久保長安の埋蔵金(神奈川県)
【埋蔵額】=黄金
【埋蔵者】=大久保長安
【埋蔵時期】=慶長年間
【埋蔵地】=足柄下郡箱根町
【背景】=家康のもと、佐渡や岩見、伊豆などの金山、銀山奉行を勤めた長安は、その役職から莫大な財宝を着服したとして、死後の慶長十八年に死骸が磔となり、一族もことごとく切腹させられている。一説には奉行を勤めた金山などの半分近くを着服していたと言うから、その額は莫大だ。半分は誇張としても、磔刑の後、家康は残った者たちを尋問し、さらには実際に埋蔵金探しを行っているから相当な額が着服されたと考えていい。
そのほんの一分、七十万両が家宅捜査で発見されたが、残りの大部分は仙石原の箱根山中に眠っているという。「箱根仙石原から南に数町行った富士山のよく見える場所、黒い花の咲くつつじの木の根元」の言い伝え。
ちなみに家康が「みだりに探索や発掘してはならない」の禁令を出した。


●江戸重通の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=江戸重通
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=結城市大字小田林地内
【背景】=水戸領地を追われ義兄結城晴朝を頼って落ち延びた江戸重通が自決した古塚に埋蔵金伝説が残る。結城の新板東三十三番の二十八番目、金光寺、はたまたあやめヶ池、慶寿山大日堂、中久喜の西の城など。

●船玉洞窟の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金器
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=真壁郡関城町
【背景】=結城とは鬼怒川を隔てた対岸の船玉神社に残る埋蔵伝説。場所柄結城伝説との関連をいわれるが、こちらは黄金というより埋宝。文化的価値の高い遺構といえる。洞窟は神社の参道石段登り口のそば。

●稲木天神の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金千枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=常陸太田市天神林
【背景】=天神林の稲木天神の畑から「ちごの墓、百足曳きて黄金千枚、百足ゆいて漆千杯」の歌が刻まれた石塔が掘り出された。

●北高岡の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=行方郡北浦村
【背景】=北浦村大字北高岡には朝日観音、夕日観音があり、「朝日さす夕日輝くそのもとに黄金千杯二千杯」のおなじみの伝承が残っている。

●五台院の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=鹿島郡鹿島町
【背景】=昭和四十七年、当地で道路工事中に古銭が大量に発見された。現在の鹿島小学校はかつて鹿島宮中五ヵ寺の一つといわれた五台院の境内だったところで、永楽通宝など約五千枚が発掘された。

●西蓮寺の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=最仙上人の後援者
【埋蔵時期】=延暦年間
【埋蔵地】=行方郡玉造町
【背景】=桓武天皇の勅願により最仙上人が創建した西蓮寺という寺が玉造町にあった。ここに最仙上人の後継者の富が埋められているという。通称「西蓮寺婆さん」と呼ばれる大富豪の埋蔵金だ。

●青柳長者の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=青柳長者
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=新治郡八郷町
【背景】=八郷町大字上青柳に居を構えた長者が強盗や領主から財宝を守るため埋蔵という言い伝え。「朝日さす夕日輝く……」の歌も残る。

●御器洗いの埋蔵金
【埋蔵額】=仏像、財宝
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=天正年間
【埋蔵地】=石岡市若松町
【背景】=常陸国分尼寺が天正十八年佐竹義宣と大掾清幹の戦の戦火で延焼。その際に寺の財宝等を御器洗いの池に投げ込んで戦禍をさけた。後に地元の百姓が畑となっていた跡地を掘り返して亡くなったという。


●金売吉次の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=金売吉次
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=足利市久保田町
【背景】=東北各地に数多く残る金売吉次の逸話は、吉次が個人ではなく奥州藤原氏を支えた陰の集団であったことを伺わせるが、足利の吉次もそういった吉次伝説の一つ。義経の供をして当地を通りかかった吉次が病を得て死亡。その塚に財宝が埋められているという。

●後山の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=佐野市出流原
【背景】=出流原弁天池近くにある後山に「漆千杯、桑千杯に黄金千杯、朝日さす、夕日輝く雀の三おどり半の下にある」の言い伝え。地元の長者が娘の昇天を願って埋めたといわれる。

●五郎兵衛の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=五郎兵衛
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=那須郡小川町
【背景】=小川町梅曽の梅曽遺跡はその昔五郎兵衛と呼ばれる長者が住んでいた。その長者が盗賊に襲われ埋めていた財宝が残されたという。「朝日さし夕日輝く合歓木のもとに黄金千杯朱千杯」の言い伝え。

●代官荘の埋蔵金
【埋蔵額】=渡来銭二万枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=栃木市田村町
【背景】=昭和五十三年、田村町の特別老人ホーム、代官荘で増築のための基礎工事をしていたところ、地下三メートルの所から開元通宝など二万枚の渡来銭が入った瓶が発見された。


●小栗上野介の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=小栗上野介
【埋蔵時期】=幕末
【埋蔵地】=安中市上秋間
【背景】=徳川埋蔵金の立役者である上野介自身の埋蔵金伝説。江戸を離れ中山道から秋間道を上野への途上、長岩の風戸峠の山中に財宝を埋めた。

●鬼石町の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=小栗上野介
【埋蔵時期】=幕末
【埋蔵地】=多野郡鬼石町
【背景】=これも上野介の埋蔵金。ただし個人の分ではなく赤城同様幕府の軍用の伝説だ。鬼石町の三波川まで軍用金を運んできた上野介が大沢山中に埋めたというもの。「大沢のアンノ木の下」

●猿ヶ京の埋蔵金
【埋蔵額】=七万五千両
【埋蔵者】=江戸幕府
【埋蔵時期】=幕末
【埋蔵地】=利根郡新治村
【背景】=新治村猿ヶ京に残る幕府軍用金の埋蔵伝説。幕府御金蔵から運び出された軍用金は赤城ではなくこの地に運ばれたというもの。一説には金座からの数万両の方とも言われる。

●永井宿の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=幕末
【埋蔵地】=利根郡新治村
【背景】=三国街道の宿場であった新治村永井は赤城や猿ヶ京同様の幕府軍用金伝説のほか、佐渡からの幕府の黄金、地元の豪農の私財、そして越後新発田の連隊からの埋蔵金など、いくつもの言い伝えが残されている。

●柳戸大尽の埋蔵金
【埋蔵額】=元文小判百八十五枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=館林市上三林
【背景】=かつて柳戸大尽と呼ばれる長者の屋敷があった上三林水塚跡で、古井戸の埋め立て工事中に素焼きの瓶を発見。中から元文小判百八十五枚二分銀一枚が出てきた。

●子王山の埋蔵金
【埋蔵額】=金千貫
【埋蔵者】=柴崎兵部景保
【埋蔵時期】=平将門の乱
【埋蔵地】=藤岡市下日野
【背景】=平将門の家来であった景保が子王山の頂上に築いた城跡に残る埋蔵金伝説。「朝日が早く当たり、夕日が遅くまで照らしている場所に金千貫漆千貫」の言い伝え。

●千輝家の埋蔵金
【埋蔵額】=二分金二十四枚ほか
【埋蔵者】=千輝家
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=佐波郡玉村町
【背景】=玉村町上新田で住宅の新築工事中に素焼きの瓶を掘り当てた。中には二分金二十四枚ほか二朱金七枚、一分銀二千四百五枚、一朱銀七百八十枚がはいっていた。旧地主の千輝家が名乗り出て実証された。 千輝家の言い伝えには埋蔵金は三つあり、一つ目は明治30年、そしてこの時(昭和53年3月10日)が二つ目、あと一つ残っている計算とか。


●小栗上野介の埋蔵金
埋蔵額】
【埋蔵者】=小栗上野介
【埋蔵時期】=幕末
【埋蔵地】=大宮市普門院
【背景】=関東各地に残る上野介の伝説。江戸を引き払い上野に向かった上野介一行が同家の菩提寺、普門院に立ち寄り幕府軍用金を境内に埋蔵したという言い伝え。各地の小栗伝説では一番の有望格か。

●森田家の埋蔵金
【埋蔵額】=小判百七枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=大宮市膝子
【背景】=昭和三十五年、同地の十四代目森田家当主が庭木いじりの途中で小判百七枚、一分金六十六枚を掘り出した。

●斉藤家の埋蔵金
【埋蔵額】=元文小判四百八十九枚ほか
【埋蔵者】=斉藤家
【埋蔵時期】=元文から文政年間
【埋蔵地】=深谷市中瀬
【背景】=昭和五十四年、中瀬字延命地の旧家跡の宅地造成地から元文小判四百八十九枚が発見された。即座に旧地主の斉藤家が所有権を主張。警察の判断は二転三転、斉藤家から、国、そして最終的に斉藤家のもので決着。

●伊佐波の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭八十貫
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=川越市伊佐波町
【背景】=大正の半ば、伊佐波の細寅吉氏の畑からむしろを二つ折りにして造ったかますの中に入った寛永通宝や永楽通宝など、約八十貫の古銭が発見された。

●朝日山の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=飯能市大字大河原池田
【背景】=入間川沿いの朝日山には古くから財宝伝説が伝わっている。「朝日さす夕日輝く堂平うるしが千盃朱が千盃大かんのもと」

●浄光寺薬師堂の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=越谷市大房
【背景】=左甚五郎が日光へ行く途中、一夜で建立したとの言い伝えが残る浄光寺。実はまだ未完のままでその資金が埋められているという。

●宝船の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=越谷市桜井
【背景】=その昔は間久里と呼ばれ川が流れていて、そこで宝を積んだ船が沈んでいるとの言い伝えあり。

●観音山の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=日高市馬引沢
【背景】=馬引沢の観音山にある観音堂には「朝日さす、夕日輝く柊の下、黄金千枚、朱千樽」の言い伝えがある。

●小池の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=入間郡毛呂山町
【背景】=毛呂山町の大字大谷木字小池には畠山重忠の霊を祀ったという八幡神像があり、同時に埋蔵金の伝承が残っている。

●谷田の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=入間郡毛呂山町
【背景】=同じ毛呂山町の大字桂木字谷田には平将門の子孫による埋蔵金伝説があり、義経が地元の河越重貞から贈られた軍資金を埋めた等の伝承。

●万蔵寺の埋蔵金
【埋蔵額】=文政小判百九枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=入間郡越生町
【背景】=昭和四十八年、越生町大字上野字満山にある万蔵寺の下堂の屋根の葺き替え工事中に木綿の胴巻きにくるまれた文政小判や一分銀百九枚を発見。

●杉山城跡の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=比企郡嵐山町
【背景】=杉山城跡にある井戸には落城の時に財宝を投げ入れたという伝承が あり、その上に大石でふたをしているという。この大石をどけようとすると災いありと言うことで、今もそのままになっているとか。

●羽島清左衛門の埋蔵金
【埋蔵額】=十万両
【埋蔵者】=徳川幕府
【埋蔵時期】=慶応年間
【埋蔵地】=大里郡妻沼町
【背景】=勝海舟の私的文書といわれる「御軍事方萬留帳」に武蔵の国長井ノ庄の代官羽島清左衛門に幕府ご用金の保管を依頼する記載がある。清左衛門の子孫が妻沼町の大字善ヶ島にあり、また埋蔵絵図面も残っている。

●宝珠花の埋蔵金
【埋蔵額】=一分金など千五百五十両
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=北葛飾郡庄和町
【背景】=昭和三十二年、庄和町の宝珠花は時ならぬゴールドラッシュに。地元の駐在所に一枚の二朱金が持ち込まれたことから江戸川岸は埋蔵金探しの人々であふれ、実際に計千五百五十枚もの天保小判などが発見された。ちなみにこのうちの千枚は発見者が猫ばばしていたことがばれて横領罪に。

●奥秩父の埋蔵金
【埋蔵額】=銅銭八千五百枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=室町時代
【埋蔵地】=秩父郡大滝村
【背景】=平成二年大滝村の大黒山山麓で銅銭約八千五百枚が発見された。その前にも何回か発見されており、合計で二万枚にも及ぶという。永楽通宝や朝鮮通宝などの渡来銭から、室町時代の埋蔵と推定。

●長瀞光明寺の埋蔵金
【埋蔵額】=小判三十八枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=江戸時代
【埋蔵地】=長瀞町野上下郷
【背景】=平成十四年七月二十九日、長瀞町野上下郷の光明寺で瓶に入った小判三十八枚が発見された。境内で排水管の工事を行っていた左官工が偶然発見したもので、いわれ等は一切伝承無し。


●美加保丸の埋蔵金
【埋蔵額】=十八万両
【埋蔵者】=榎本武揚
【埋蔵時期】=明治元年
【埋蔵地】=銚子市黒生海岸沖
【背景】=榎本武揚率いる旧徳川幕府の軍艦八隻が品川を脱走し、北海道を目指したが、銚子沖で暴風雨に見舞われ美加保丸が座礁沈没。この船には軍資金など十八万両が積み込まれていたという。後にたびたび引き上げが行われ、船首部分などが回収されたが肝心の財宝の行方は知れないまま。

●土気城の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金二千八百枚
【埋蔵者】=酒井康治
【埋蔵時期】=天正年間
【埋蔵地】=市原市金剛地
【背景】=秀吉の関東攻めに際して落城した上総の土気城の埋蔵金伝説。埋蔵に関わったといわれる成島家の子孫が偶然黄金の在処を示す古文書を発見。以来多くの人間が古文書の謎に挑戦している。「西之庫酉縁の下石櫃砂中小判三 ヒイフク フクライ 黄金貳阡八百枚 むしはらむ」の謎分。

●金山城の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=東条氏
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=鴨川市太田
【背景】=太田字金山にあった金山城は里見義実に落城させられたが居城にしていた東条氏がその際宝を埋蔵したというもの。

●東松崎の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=香取郡多古町
【背景】=多古町松崎の松崎神社には北条塚、仁志塚、大塚、加志塚、遠見塚、金銀塚、普多津塚の塚があり、そのうち金銀塚に埋蔵金伝説がある。

●法華寺の埋蔵金
【埋蔵額】=
【埋蔵者】

【埋蔵時期】
【埋蔵地】=長生郡長南町
【背景】=東身延山藻原寺を開山した日向上人の隠居寺である法華谷の坂本法華寺に「本山藻原寺に大変事ありし時、再建のために使用すべし、もし異変なきとき発掘すると目がつぶれるの」上人の言葉とともに埋蔵金伝説が。


●だらだら長者の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=生井屋久太郎
【埋蔵時期】=安政年間
【埋蔵地】=新宿区筑土八幡町
【背景】=筑土八幡の境内に隣接する場所にだらだら長者と呼ばれる豪邸があった。実はそれは日本橋の米問屋、久太郎の隠れ蓑で米の買い占めによる裏の利益を蓄財していたという。その久太郎が毒殺され埋蔵金の絵図が残された。町奉行監視の下の発掘では油樽入りの小判千二百枚を発見。

●村田平十郎園の埋蔵金
【埋蔵額】=金座からの新鋳小判
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=幕末
【埋蔵地】=荒川区三河島
【背景】=維新の争乱で没落した植木屋、村田平十郎の庭園を手に入れた下谷の魚政が整備中に新鋳小判百枚を発見。金座から避難させた徳川幕府のご用金の一部とみられている。

●本郷の埋蔵金
【埋蔵額】=小判五十五枚、二朱金九枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=文京区本郷
【背景】=東大の正門近く、かつて阿部伊豫守の屋敷があったところから昭和四十六年、駐車場の工事中に偶然小判などを発見。工事人以外にも通行人などが発見して持ち帰ってしまったと考えられ判明した枚数が上。

●湯島天神の埋蔵金
【埋蔵額】=一万両
【埋蔵者】=駿河屋
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=文京区湯島三丁目
【背景】=江戸の油問屋、駿河屋が子孫のためと一万両を江戸本郷の湯島台に埋めたもの。後の文化十年、多母沢事件という変死事件でこの埋蔵金探しが発覚している。駿河屋の子孫お吉佐の持っていた絵図面が騒動の発端に。

●由井正雪の埋蔵金
【埋蔵額】=数万両
【埋蔵者】=逆部主水
【埋蔵時期】=慶安年間
【埋蔵地】=文京区湯島
【背景】=駿河の紺屋に生まれた由井正雪が1651年に起こしたクーデター「慶安の変」で首謀者の一人だった丸橋忠弥の部下の逆部主水が担当した軍費数万両を湯島天神境内に埋蔵。同僚だった殿方格之助が受け取った 絵図をもとに探索したが見つからず、後に岡引一族らが探した記録あり。

●ヤマトノーフの埋蔵金
【埋蔵額】=ロシアの財宝
【埋蔵者】=増田甲斎
【埋蔵時期】=慶応年間
【埋蔵地】=港区白金台
【背景】=遠州掛川藩士、甲斎はロシアに密航、ヤマトノーフと名乗り大学の教授や外交官として活躍。このときに蓄財したロシアの財宝を日本に持ち帰った後、死期を悟り白金の源昌寺に埋蔵したという。

●陣五郎の埋蔵金
【埋蔵額】=六千両
【埋蔵者】=松本陣五郎
【埋蔵時期】=元禄年間
【埋蔵地】=港区芝二本榎
【背景】=江戸の高利貸し、陣五郎が蓄財した埋蔵金。陣五郎は近火で焼死。後に土蔵を調べたが、小判はなかったかとから埋蔵の言い伝えに。

●芝の埋蔵金
【埋蔵額】=慶長一分金三百二十枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=港区西応寺町
【背景】=昭和三十八年、万才自動車建築現場から慶長一分金三百二十枚が発見される。

●鹿島屋の埋蔵金
【埋蔵額】=小判千九百枚、二朱金七万八千枚
【埋蔵者】=鹿島屋清兵衛
【埋蔵時期】=天保年間
【埋蔵地】=中央区新川一丁目
【背景】=江戸から昭和と二百年に渡ってこの地で酒問屋を営んだ鹿島屋の先祖が埋めたもので、発見された埋蔵金では最大級のものといえる。昭和三十八年日清製油本社ビルの改築現場で作業員が一分を発見、鹿島屋の子孫が名乗り出て、さらに多くの埋蔵金が発見された。天保小判、二朱金。

●銀座の埋蔵金
【埋蔵額】=小判二百八枚、一分金六十枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=中央区銀座六丁目
【背景】=昭和三十一年、銀座の小松ストアーの改築工事現場から積み出された土砂の中から、慶長小判四十八枚、正徳小判五十三枚ほか、小判二百八枚、正徳一分金二十三枚、亨保一分金十九枚ほか一分金六十枚。

●数寄屋橋の埋蔵金
【埋蔵額】=元文小判六十八枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=中央区銀座西四丁目
【背景】=昭和三十二年、富士銀行数寄屋橋支店建築現場から元文小判六十八枚が発見される。

●石川家の埋蔵金
【埋蔵額】=二分金二百三十一枚ほか
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=中央区京橋一丁目
【背景】=かつて北槙町と呼ばれた当地の米穀商石川家で土蔵の改築工事中に瓶が出土。中から二分金二百三十一枚、一分金八枚、一朱金百十二枚二朱金百九十二枚が入っていた。

●富士見町の埋蔵金
【埋蔵額】=天保五両判六枚、小判百一枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=千代田区富士見町
【背景】=昭和四十一年、喫茶店の改修工事中に素焼きの壺を発見。中から天保五両判六枚と小判百一枚がでてきた。

油問屋駿河屋の埋蔵金
【埋蔵額】=小判一万枚
【埋蔵者】=油問屋駿河屋
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=千代田区神田淡路町
【背景】=子孫のためにと埋蔵したもの。湯島天神境内の埋蔵金にも駿河屋が埋めたという説がある。

●浅草の埋蔵金
【埋蔵額】=天保一分銀千八十六枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=台東区浅草菊屋橋
【背景】=昭和三十二年、第一信託銀行菊屋橋支店の建築現場から天保一分銀千八十六枚が発見される。

●元浅草の埋蔵金
【埋蔵額】=二分金六百枚ほか
【埋蔵者】=石井家
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=台東区元浅草
【背景】=ビルの工事現場から金貨が詰まったカラスビン三本が発見された。中には二分金六百枚、二朱金千六百枚。所有者が数名現れたが結局は警察の調査で関係なく、寝耳に水の石井家の子孫が判明したという。

●寛永寺御隠伝の埋蔵金
【埋蔵額】=小判一万両
【埋蔵者】=徳川幕府陸軍奉行松平太郎
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=台東区根岸鶯谷
【背景】=幕府の風雲急に陸軍奉行松平太郎は御用金一万両を、彰義隊のブレーンだった寛永寺執当覚王院義観に託した。再起のために埋蔵した場所は寛永寺宮別邸の鶯谷御隠殿の“枝垂れの井戸”の底。

●根岸御行松の埋蔵金
【埋蔵額】=小判五万両
【埋蔵者】=徳川幕府
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=台東区根岸
【背景】=こちらは金座から板橋宿へと運んだといわれる十七万五千両のうち五万両を彰義隊の軍資金に充てるため、根岸の中村金八の控え屋敷の地下に埋蔵したというもの。明治に入って幕臣鵜沢孝太郎の手記から判明。

●有明の埋蔵金
【埋蔵額】=慶長小判三十五枚
【埋蔵者】
埋蔵時期】
【埋蔵地】=江東区有明二丁目
【背景】=海岸の埋め立て地で中学生がゴミの中から慶長小判を拾ったことから騒動に。結局全部で三十五枚の慶長小判が発見された。

●中野長者の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=中野長者
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=中野区中野
【背景】=都内の埋蔵金としては最古といわれる。中野長者が子孫のために埋めたという。淀橋成子付近で歌われた「朝日さす…」の起こりとも。

●三宝寺池の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金の鞍
【埋蔵者】=豊島泰経
【埋蔵時期】=文明年間
【埋蔵地】=練馬区石神井台
【背景】=城北一帯で覇を競った豊島氏、その豊島泰経が太田道潅に落城させられ、その時に白馬に金の鞍をおいて三宝寺池に沈んだという。

●伊豆大島の埋蔵金
【埋蔵額】=小判九十枚、一分金四十三枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=伊豆大島沖
【背景】=昭和三十二年、伊豆大島の漁師が水深十五メートルの海底から小判八枚を引き揚げ、これを聞いた島民が競って探し最終的に小判九十枚一分金四十三枚が発見された。この大島沖には寛文年間の功天丸、宝永年間第二伊予紋丸、元文年間の明神丸の三隻が宝を積んで沈没しているという。

●江戸城の黄金井戸
【埋蔵額】=十万両相当の黄金
【埋蔵者】=徳川幕府
【埋蔵時期】=慶長年間
【埋蔵地】=千代田区千代田
【背景】=慶長十二年、江戸城の天守閣を築いた当時に作られた井戸に、万が一の備えに十万両相当の黄金を埋めたといわれる。のちに本丸再建の用に掘り出されて今はないとの説や財政逼迫で使ってしまったとか。また、掘り出されはしたが本丸跡の地下に埋め直した、という説も。


●早丸号の埋蔵金
【埋蔵額】=メキシコ銀六万ドルほか
【埋蔵者】=仙台藩
【埋蔵時期】=慶応年間
【埋蔵地】=横須賀市久里浜沖
【背景】=幕末のどさくさに仙台藩が海事訓練用にと英国から購入した機帆船、早丸号に幕府は財宝の搬出を以来。その早丸号がこともあろうに久里浜沖の海驢島で座礁沈没してしまった。積荷は分かっているものだけでも メキシコ銀六万ドル、伊予別子銅山産マナコ銅約百四万斤、奥州産青銅製器約百四十万斤、黄金灯籠、大判、小判五十万両という途方もない額に。

●ネオーダ号の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=アメリカ軍
【埋蔵時期】=明治元年
【埋蔵地】=横須賀市観音崎沖
【背景】=アメリカ軍艦ネオーダ号は、僚船とともに武器、弾薬を官軍に売り帰国途中、観音崎沖で英国の汽船ポンペイ号と衝突沈没。官軍からの代金を積んだまま沈んでいる。

●浪花屋の埋蔵金
【埋蔵額】=三千両
【埋蔵者】=五郎右衛門
【埋蔵時期】=明暦年間
【埋蔵地】=川崎市多摩区宿河原
【背景】=江戸日本橋の大棚、両替商の浪花屋が明暦の大火で類焼。この時五郎右衛門という下男が五千両を預かり、二千両で主人一家の供養をし、残りの三千両をいつでも身寄りに渡せるよう宿河原に埋めたという。

●源義経の埋蔵金
【埋蔵額】=奥州砂金
【埋蔵者】=源義経
【埋蔵時期】=鎌倉時代
【埋蔵地】=相模原市南端
【背景】=義経が、頼朝に恐れられて鎌倉入りができなかったことは有名だが この時、義経が無念の涙で持参の土産の砂金をこの地に埋めたという。 「朝日が当たり、夕日がはえ、雀がちゅんちゅん鳴くところ、大釜いっぱい 鍋いっぱい」の言い伝えあり。

●小山田小太郎の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金千両
【埋蔵者】=小山田小太郎
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=相模原市上矢部
【背景】=小山田小太郎という武士が財宝をここの地に埋めたという伝承。「朝日さし夕日輝く木の下に、黄金千両、漆万杯」の歌も伝わる。