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2013年9月17日 (火)

二条城で皇室の菊紋の下から徳川家の葵紋が発見される

 世界遺産でもある、京都市中京区の二条城の二の丸御殿唐門に施されている皇室の象徴“菊紋”の下から、徳川家の家紋である“葵紋”が見つかったという。

 二条城は、平成23年度からおよそ20年の歳月をかけて28棟ある文化財建造物をはじめ、城内全ての歴史的建造物を中心に修理を行っている最中で、その内の二の丸御殿は徳川家康の創建の後、寛永の大改築、明治期の離宮としての改装を経て、今日に至っている。昭和24年から30年にかけての大規模な修理後すでに50年以上が経過していた。その二の丸御殿の唐門の修理中に飾り金具の菊紋の下にほぼ同じ大きさの葵紋が取り付けられていたというのだ。

--以下読売新聞、8月28日付ニュースから--

『皇室の菊紋の下から徳川家の葵紋…京都・二条城

 世界遺産・二条城(京都市中京区)の二の丸御殿唐門(からもん)(国重要文化財)に施されている皇室の象徴・菊紋の下から、徳川家の家紋である葵(あおい)紋が見つかった。

 徳川家康が築いた二条城は、1884年に当時の宮内省に所管が移っており、菊紋はその時期に取り付けられたとみられる。

 二条城を管理する京都市によると、二つの紋が重なっていたのは、唐門の屋根を支える部材の先端部分にある飾り金具12個。金箔(きんぱく)を張り直すため、銅板で金具に固定された直径約9センチの菊紋を外したところ、下からほぼ同じ大きさの葵紋が現れた。

 二条城は1867年の大政奉還の舞台として知られ、その後、京都府や陸軍省などを経て、1939年まで宮内省が管理。京都市元離宮二条城事務所の後藤玉樹・建造物保存整備担当課長は「江戸から明治にかけての激動の時代を映す貴重な資料」としている。唐門は今月、約2年がかりの修理が完了。今は菊紋が取り付けられている。』

 関ヶ原の乱の翌年、徳川家康が天下の主たる威厳を示すためと、西日本の諸大名の勢力を削ぐために築城の使役を課して、1603年に完成した二条城。

 その歴史はまさに徳川家とともにあったが、1867年に二の丸御殿大広間にて慶喜が大政奉還を発表するに至り新政府に乗っ取られたカタチで、もともとは葵の紋が軒金具に取り付けられていたのだから、存在していたとしても不思議はない。

 ただ、徳川家を目の敵にしていた新政府がそのような徳川家の象徴ともいえる葵紋を、痕跡ですら残すことを認めたとは思えず、改修を請け負っていた職人たちによる細工が想起される。

 200年以上の長きにわたって主であった徳川家と、新参者でしかない新政府。職人たちの徳川を惜しむ思いがそこにあったのではないだろうか。いずれすぐに戻ってきてもいいように、と考えたとするのはうがちすぎか。

 新政府の太政官代が置かれたり、陸軍省が置かれたり、はたまた後には離宮にもなることになる、ことさら左様に重大なる建築物の改修に手抜きがあったとは到底思えない。これだから職人の心意気は面白い、といえないだろうか。

--2013年9月17日

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