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2012年6月

2012年6月25日 (月)

四億五千万両! 豊臣秀吉の埋蔵金探索の第一人者、鈴木盛司さんが亡くなる

 6月23日付の「朝日新聞デジタル」の報道によれば、太閤埋蔵金の眠る多田銀山で37年間にわたり発掘調査にあたっていた鈴木盛司さんが77歳で亡くなったという。

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『黄金探索37年、夢追い人逝く 多田銀銅山の鈴木さん

 豊臣秀吉の埋蔵金伝説が残る多田銀銅山(兵庫県猪名川町)に住み着き、37年間、黄金を探し続けた男性が今年2月、ひっそり世を去った。家庭も定職も持たず、地底でひたすら夢を追う半生だったが、探索はついに実を結ばなかった。

 埋蔵金ファンに「多田銀銅山の鈴木さん」で通っていた浜松市出身の鈴木盛司(もりじ)さん(享年77)。ここ数年、老人施設に入所していたが、2月18日に病院で息をひきとった。

 鈴木さんの著作などによると、仲間4人と発掘を始めたのは1975年。山あいの民家を借り、古文書を頼りに坑道に潜っては土砂やがれきを運び出した。だが黄金は現れず、仲間は去り、数年後には一人に。孤独な夢追い人としてメディアにも紹介された。』

(朝日新聞デジタル 2012年6月23日7時4分)

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 鈴木盛司さんといえば、平成10年8月に新人物往来社から発行した『豊臣秀吉の埋蔵金を掘る』(鈴木盛司著・新人物往来社発行・税別2400円)という著書にそれまでの探索記録をまとめて発表している。継続的に埋蔵金を発掘調査していた期間の長さでは、まさに赤城の水野さんに次ぐ長さといえるだろう。

 多田銀山の埋蔵金は、一説には埋蔵額が四億五千万両という膨大な額の埋蔵金で、二度目の朝鮮出兵の後、病に倒れた秀吉が豊臣家の将来を案じ大阪城内の金蔵にあった四億五千万両を、この多田銀山に埋蔵したというもの。

 ちなみにこの多田銀山は源氏の祖、多田満仲が開いたという歴史を誇った銀山で、源氏を潤し、そして黄金の千成り瓢箪や黄金の茶室に代表される秀吉の富の裏付けともなった優良鉱山だった。しかし、秀吉はこの多田銀山を突然閉山してしまい、その裏で坑道の奥深く瓢箪間歩に巨万の富を埋めたのだといわれる。

 実際に埋蔵に携わったのは金山奉行だった、幡野三郎光照と帰化人技術者、今川賀蔵(民振竜)といわれ、埋蔵金は、その後、大阪冬、夏の陣で一分が消費されたが大半は残されたままで、後に幡野の遺書などにより、埋蔵金の事実が知れ渡り、その額の多さと数々の「秘文書」の存在などにより、一躍注目の的となった、我が国の3大埋蔵金の一つといわれる。

 鈴木盛司さんのご冥福と、37年間の貴重な探索資料が散逸してしまわないことをお祈りします。

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