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2011年7月 8日 (金)

石見銀山で未調査の新たな坑道20本を発見!

 本サイトでも、かつて世界遺産登録が実現するかどうか、という時期に何回か取り上げさせていただいた石見銀山。無事めでたく世界遺産に登録されたのは皆様ご存じの通り。
 その石見銀山にちょっと気になる動きが出ている。それは7月7日付けの毎日新聞が報じた以下のような内容なのだ。
『<石見銀山>「新たな坑道」計20カ所発見』
 という見出しで、
『世界遺産・石見銀山遺跡(島根県大田市)の現地調査で、銀を採掘した坑道=間歩(まぶ)=とみられる穴が6月末までに計20カ所見つかったことが分かった。確認されれば、世界遺産登録後初の新たな坑道発見になる。

 同遺跡では銀山中心部で583カ所の間歩が確認されている。島根県教委は今年度から中心部外側の調査を始め、15年度までに銀山全体の規模解明を目指す。

 調査した同市石見銀山世界遺産センターの岩橋孝典・専門研究員は「いずれも人工的に掘った穴で間歩とみられる。5年間の調査でさらに多くの間歩が見つかる可能性が高い」と話している。

 同遺跡は16~17世紀に最盛期を迎えた世界有数の銀山跡。毛利氏や徳川幕府の支配下で経済基盤を支え、大航海時代以降、世界に流通した銀の多くを産出した。07年に世界文化遺産に登録された。【鈴木健太郎】』
 という内容の記事だ。
 石見銀山といえば、太閤秀吉の埋蔵金が眠ると言われる兵庫県の多田銀山と並び、我が国の銀の産出を支えた一大銀鉱山。さすがに江戸時代まで管理された現役銀山だっただけに、派手な埋蔵金の話題こそ無いが、今でも全体像がつかめないほどの巨大な坑道をもつ“パワースポット”と言えるだろう。
 ちなみに一方の多田銀山の方が、何故埋蔵金の舞台となったかといえば、、二度目の朝鮮出兵の後病に倒れた秀吉が、豊臣家の将来を案じて大阪城内の金蔵にあった四億五千万両を、この多田銀山に埋蔵したというのだ。そのために源氏の祖、多田満仲が開いたという由緒正しき歴史を持つ多田銀山を突然閉山してしまい、坑道の奥深くの“瓢箪間歩”に巨万の富を埋めたという。
 現地で埋蔵作業の監督に当たったのが金山奉行、幡野三郎光照と帰化人技術者、今川賀蔵(民振竜)。埋蔵金の一部は大阪冬、夏の陣の時に持ち出され、消費されてしまったが、大半はそのまま残されたといわれる。
 後に幡野の遺書などにより、埋蔵金の事実が知れ渡り、その額の多さと数々の「秘文書」の存在などにより、一躍注目の的となったというわけ。
 八門遁甲によって隠された埋蔵金を説くカギとなる秘文書は「幡野三郎光照遺書」と、光照の子の「和田二郎光盛文書」、振竜の「水抜き秘法」そして、淀君に預けられた肝心の「清水心竜之巻」と絵図三葉という。
 はてさて、石見銀山の“新発見”の坑道から何か出てくる可能性は無いのでしょうか? ご注目を。

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