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2010年9月23日 (木)

『幻の埋蔵金 佐々成政の生涯』

<生駒忠一郎著/KTC中央出版/1500円/1996年10月14日発行/ISBN:4-924814-83-0>

 黒部の成政埋蔵金を追いかけている方に、ちょっと気になる新刊。 成政の人となりを研究しつつ埋蔵金をからめた読み物が発刊された。 以下、埋蔵金余話の一部を紹介しておくので、気になる方はご手配を。
『成政の埋蔵金伝説は、越中の各地に分散している。
もっとも有名なのが牛岳とも言われる鍬崎山(東礪波郡庄川町) である。秀吉が攻めてくる天正十三年(一五八五)、富山城の天守閣にあった 百万両を侍大将の阿部義行に命じて埋めさせたというものだ。
 鍬崎山(二〇八九メートル)は薬師岳の西方の独立峰で、富山平野から 見ると牛の背のような形をしており、越中富士とも呼ばれる。 有力な証拠とされているのが、麓の芦峅寺(中新川郡立山町)や本宮 (大山町)に「朝日さす夕日輝く鍬崎に、七つむすびてむすび、 黄金いっぱい光り輝く」という里謡が残されていることである。……』
 本文中では当然ながら埋蔵金が主役というわけではなく、 どちらかといえば成政の人物を描写するのに埋蔵金をからめた、 と考えた方がいい。ちなみにあとがきには、
『庄内川べりの比良城に生まれた成政は、農氏出身の秀吉とは対照的に、 近江源氏の佐々家を祖に誇り高く、勇猛、果敢で剛直、どんな苦境にもひるまぬ猛将に育った。
 成政と秀吉の性格は、初めから水と油であった。生まれ育った環境の違い、また剛健で負けず嫌いな成政と、目先がきいてすばしっこい秀吉は、ことごとに考えが合わず、意地の張り合いで解け合えぬままに終わった。
 誇り高い成政は、信長の死後、着実に勢力を伸ばしていく秀吉を素直に認め、仕えることができなかった。荒子城主の子として生まれた利家は、秀吉とうまく融和したが、成政にはそんな器用なことはできなかった。
 成政が最期まで織田家復興を願っていたのに対し、秀吉は早くから天下をめざした。そうした生きる姿勢の基本的な違いも、二人を最後まで解け合わせなかった理由の一つであった。
 成政は、前半生があまりにも栄光に包まれていただけに、後半の焦燥に満ちた不器用な斜陽の人生が、哀れと同情を誘って逆に人間味を感じさせる。
 この作品を書くにあたり、あらためて清洲城、稲生ケ原、比良、井関城祉から生駒屋敷跡と歩いてみた。戦雲に天下への夢を追って、このあたりを駆けていた少年のころの信長や成政の足音が、今も聞こえるような気がした。……(一部略)』                

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