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2002年7月

2002年7月29日 (月)

お寺の境内から小判38枚出土。誰のものに?

 埼玉県内で光明寺といえば、秩父市の「向嶽山光明寺」や、比企郡吉見町にある「息障院光明寺」(こちらは平安末期に源義朝が平治の乱に敗れた後、頼朝の弟範頼が稚児僧として入り、後に領主となったという範頼の館跡でいまも「御所」と呼ばれて県の史跡指定されている)、はたまた文暦元年甲午3月18日開創と伝えられる秩父札所の2番納経所となっている「光明院」などが有名だが、こちらは長瀞の地にある「光明院」からのニュース(確かこちらの「光明院」は、樹齢約250年、樹高22m、目通り3mという大カヤの木で有名だったのでは?未確認情報ですが)。
 2002年7月29日のこと、「排水管の埋設工事を依頼されて工事を行っていた左官屋さんが、まったく偶然に境内の地下から瓶に入った小判38枚を発見した」というのだ。小判の種類が判明していない(現在、埼玉県教育委員会で“鑑定中”とのこと。発表されている小判のサイズは縦6センチ、横3センチ、重さ13グラム)ため年代を限定できないが、瓶に入っていたこと、そして枚数的な面を考えれば、江戸時代ではごくごく当たり前といえた財産保全目的の埋蔵だ。それが何らかの理由で掘り出されることなく忘れ去られてしまったのだろう。
 ちなみにこのニュースを報道した朝日新聞の7月30日付け朝刊によれば、「住職(53)は『昔の住職が後継者のために埋めたのだろう』と手元に残したい意向だが、埼玉県教委などの鑑査で文化財となれば、行政の保管に。住職は『先人の心意気もくんでほしい』」とのこと。
 ちなみに文化財として“取り上げられ“てしまった場合、発見者には“報奨金”が入るだけってことに。この“報奨金”の算出がなかなか分かりにくくて、ま、「雀の涙」的に考えていただければ当たらずとも遠からず……というニースでした。

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