« 1999年3月 | トップページ | 1999年12月 »

1999年9月

1999年9月19日 (日)

『明治の郵便船「ニール号」を確認』

 このところあまり動きのない業界(!?)ですが、みなさまはいかがおすごしでしょうか?
 さて、久々にちょっと興味ある新聞記事が出ていたのでご紹介。といってもずいぶん日が経ってしまって申し訳ありません。もともと「海底の黄金」にあまり興味が無いのと、「沈船」と「埋蔵金」はちょっと趣旨が違うのでどうしようかと迷っていたこともあります。それはともかく、一応気になるニュースですからお伝えしておきましょう。
 以下は1999年9月11日付けの朝日新聞夕刊の記事です。
『掘ればザックザク? 明治の宝船ここに
 郵船ニール号 伊豆半島沖船体を確認

 明治の初期、欧州で開かれた万博に出展した日本の文化財を積んで、帰国途中に静岡・伊豆半島沖で沈没したフランスの郵船二ール号(一、七三四トン)の調査が十日行われ、船体の一部が見つかった。沈没から百二十五年。太平洋の底に沈んだロマンを求めて、関係者は「財宝を引き揚げて、当時の日本を知るきっかけが得られれば……」と期待している。調査したのは、ダイバー仲間から成る「二ール号調査団」のメンバー。二ール号は、一八七三年のウィーン万博に出品された純金の茶がまやまき絵、水晶玉などの文化財を積んで帰国途中の翌年三月、現在の南伊豆町入間沖で悪天候のため浅瀬に座礁して沈没した。乗組員九十人のうち、生存者は四人だけだった。
 明治政府は高松藩の純金の茶がまなど一部を引き揚げたが、水晶玉、太刀、陶器類など見つからないものも多数残った。その後、沈没地点が水深三○メートル以上で深いことなどから本格的調査は行われず、二ール号はいったん歴史から姿を消した。
 一九八二年ごろ、定置網の点検補修を頼まれた潜水作業員が砂地の一部に岩礁のようなものを見つけ、二ール号ではないかと話題になった。その話を聞いた仲間のダイバーたちから、「ぜひ本格的な調査を」という機運が高まり、調査が始まった。
 調査団の永出雅一さん(四五)は、「文化財発見への期待はふくらんだ。サルベージなどの費用の間題もあり、興昧のある人たちに支援を呼びかけていきたい」と話している。』
 というものです。
 ちなみに日本近海の沈船の情報はかなりあります。あまりに有名な幕末のどさくさで沈んだ榎本武揚の「開陽丸」や「美加保丸」、そして同じく幕府の御用金を積んでいたといわれる「早丸」、日本海海戦でのバルチック艦隊の「イルティッシュ号」、「アドミラル・ナヒーモフ号」、第二次大戦関係では「天応丸」「三星丸」、また最近同じように新聞紙面に載った長崎湾の海底に眠る「マードレ・デ・デウス号」など多くの艦船が財宝とともに眠っているといわれてます。
 戦艦大和の沈没位置を確認、引き上げの話題や、タイタニック映画のヒット等、沈船関係のニュースが多いですが興味のある方は、こちらの記事の継続調査のほどよろしく。

|

« 1999年3月 | トップページ | 1999年12月 »