2012年1月27日 (金)

韓国から“現代版埋蔵金”発掘騒動のニュース

 韓国から“現代版”埋蔵金のニュースが伝えられた。それは、時事通信社が1月6日付で報じた情報で、なんでも朝鮮戦争のさなか避難する必要があった一家が、資産保全を図るためお寺の敷地内に金塊に変えた資産を埋めた、というもの。

 今日でも戦争などの一大有事の際には、価値の無くならない金と、埋蔵という手段が有効なことを示した一例なのでは。

     ※以下引用※
【ソウル時事】韓国南部・大邱市にある桐華寺の裏庭に埋められた金塊を探すために北朝鮮を脱出した男性(40)が話題を集めている。裏庭の地下では金属反応が出ており、南北をまたいだ宝探しは熱を帯びている。

 6日付の韓国紙・中央日報などによると、男性は北朝鮮で養父から金塊の話を聞いた。養父の両親は、1950年に始まった朝鮮戦争でソウルから大邱に避難。裕福だった両親はこの際、家などを処分して購入した金塊40キロ(時価約1億6000万円)を桐華寺の裏庭に埋めた。

 その後、一家は北朝鮮に渡り、両親は男性の養父に金塊を埋めた場所を説明、「韓国に行ったら必ず探せ」と言い聞かせた。北朝鮮で健在の養父は、男性に金塊の発掘を委任したという。

 男性は2008年12月に韓国に亡命。生活基盤が整った昨年初めから桐華寺に通い、発掘を認めるよう要請を続けている。昨年末に、専門家が金属探知機で裏庭を調べたところ、深さ1.2メートルのところに電線などとは違う金属反応が出た。

 桐華寺の建物は「宝物」に指定されている。発掘には文化財庁の許可が必要な上、金塊が出たとしても所有者をどう確定させるのか、寺側は当惑気味。男性側は発掘が認められない場合、訴訟も辞さない構えだ。

[時事通信社]
     ※ここまで引用※

 埋蔵を行う際のポイントとして、永年にわたって位置の変わらず、万が一焼失等しても再建される可能性の高い寺社などを埋蔵場所の目安にするのは常識。ただ、このケースのように勝手に寺社の敷地内に埋蔵するのは、戦国時代の権力者でもない限り後々トラブルのもと。まあ、確かに“戦争時代”ではあったが…。

 それはともかく、日本の法律に当てはめて考えると、一般的な埋蔵金では遺失物法が適用されるが、このケースの場合は、埋めたという人物が特定でき、また「物や金を落としたり、置き忘れたりしてなくすこと」という遺失物の定義にはまったく当てはまらない。

 勝手に他人の所有地に埋めた行為の是非は問われるだろうが、隠した場所や金額等、当事者しか知らない事実で所有権は確認できるだろうから、当然財宝は男性(の養父)の物と判断されるだろう。ニュースにもあるが、寺の建物は確かに「宝物」なのかもしれないが、裏庭がそれに含まれるかは微妙で、要は寺側の心証を損ねてしまった、ということなのでは。

 となると裁判を起こすしかないが、養父が北朝鮮在住ということで、これまた問題を複雑にしてしまっている。発掘させてもらった場合、何割かを寺に寄進するとか、円満な解決方法で埋蔵金が陽の目を見ることを期待したい。

 首都圏直下型大地震発生確率のアップや、はたまた国の財政破綻など伝えられる今日この頃、あなたの流動資産はどうされてます? 国が破綻したら紙くず同然になってしまう可能性の高い円など、さっさと見限って金地金に替えていらっしゃる方も多いのでは。でも、埋めるならくれぐれもご自分の土地に、です。

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2011年8月30日 (火)

「多田銀山で坑道調査」豊臣秀吉の埋めた4億5千万両のゆくへは?

 先月「石見銀山で坑道を再調査」というニュースをお知らせしたばかりだが、埋蔵金関連では本筋と言える「多田銀山で坑道調査」のニュースが入ってきた。

 多田銀山と言えば、一般に「国内三大埋蔵金」と呼ばれるもののひとつ、豊臣秀吉の埋蔵金の舞台として有名だ。豊臣秀吉が亡くなる直前の慶長3年、自分の亡き後の豊臣家の安泰を図るため、多田銀山に4億5千万両の金銀を坑道のいずこへか埋めたというもの。

 その多田銀山でロボット調査が開始されたという。

『秀吉の埋蔵金、伝説では4億両超 多田銀銅山に探査ロボ

 豊臣秀吉が開発を進め、天下統一を経済的に支えたとされる「多田銀銅山」。大阪府と兵庫県にまたがって残る坑道の大半は落盤の危険があり、内部の調査はほとんど手つかずのままだった。兵庫県教委は23日から、探査ロボットを坑道の中に入れ、秀吉の埋蔵金伝説が残る「宝の山」の調査に乗り出す。

 県教委によると、多田銀銅山は大阪府の池田市、箕面市、能勢町、豊能町と、兵庫県の川西市、宝塚市、猪名川町の計7市町を中心とした鉱脈の総称。2千の坑道があるとされる。

 秀吉が天正年間に直轄鉱山として開発。江戸時代は「銀山三千軒(ぎんざんさんぜんけん)」と呼ばれ繁栄したが、次第に衰退し、日本鉱業多田鉱業所だった1973年に閉山した。

 今回の調査は、新名神高速道路の橋脚建設に伴う調査で見つかった猪名川町の坑道が対象。坑道内の形の特徴を把握して年代を特定し、多田銀銅山の実態を調べるのが狙いだ。秀吉ゆかりの坑道「瓢箪間歩(ひょうたんまぶ)」や「台所間歩」の名が残る銀山地区の近くに位置する。

 坑道は斜め上に向かう横穴。7月の事前調査では、入り口の高さ0.90メートル、幅0.6メートル、長さは約6メートルと確認した。奧に行くほど坑道の高さは低くなり、突き当たりの天井には鉱脈につながっている可能性のある立穴(たてあな)も見つかった。

 23日からの調査で使うのは、松江工業高専の久間英樹教授が開発した長さ約60センチの探査ロボット。傾斜角などを測れる小型センサーとカメラがあり、坑道入り口から遠隔操作できる。

 今回の調査に、埋蔵金伝説に関心を寄せる講談師の旭堂南海さんは「財政難にあえぐ自治体が、とうとう埋蔵金のロマンに手をつけるのか。兵庫県が大金持ちになれる瞬間が近づいたかも」と興奮気味に語る。

 一方、県教委は伝説からは距離を置く。調査を担当する県立考古博物館(播磨町)の深井明比古課長は「多田銀銅山は長い歴史を持つ産業遺産。ロボットの力を借り、実態解明につなげたい」。今後も調査を続ける。          (日比野容子)

     ◇

 〈豊臣秀吉の埋蔵金伝説〉 息子・秀頼の行く末を案じた秀吉が1598(慶長3)年6月、大坂城に残っていた朝鮮出兵の軍用金4億5千万両を多田銀銅山の21カ所の坑道に埋めた、と埋蔵を命じられた家臣の遺書などに記されていたとされる。現在なら兆円単位の価値だとする試算や、財力を誇張しただけとの見方もマニアの間にはあり、群馬県の徳川埋蔵金、茨城県の結城家埋蔵金と並んで「日本の三大埋蔵金」と称される。 』

--以上、asahi.com(朝日新聞社)webサイト 2011年8月22日より--

 豊臣秀吉が亡くなったのは、慶長3年の8月。そのわずか2か月前、病に伏していた秀吉は、突然多田銀山の閉鎖を命じて多田銀山から一切の人を遠ざけた。“銀山ばらい”といわれた出来事だ。そして金山奉行の幡野三郎光照に命じて、無人となった銀山で死刑となる罪人を使い軍資金4億5千万両を坑道の10数ヵ所に分散して埋蔵をさせたという。

 これらの埋蔵金は、政権を一次預けたはずの徳川家康から、成人した秀頼に政権委譲が成された時に掘り出して使われる予定だった。埋蔵の事実が知られることとなったのは、「清水心竜之巻」「幡野三郎光照遺書」などの秘文書と絵図の存在だ。

 あくまで一時的な埋蔵で、時機到来ならば即役立てられるように、埋蔵場所や発掘の方法等がこれらの秘文書に詳細に記されていたという。

 とくに最大の埋蔵ヵ所は盗掘されないように水没されており、そのための水抜きの方法なども記されていたのだという。この文書は“その時”が来るまで幡野家に秘匿されていたといわれている。だたもう一組、淀の方にも同じものが預けられていたというので、2通存在していたことになる。

 これらの秘文書が、めぐりめぐって外部に知られることとなった。ただ秘文書が手に入ったからといって、すぐに埋蔵場所が分かるわけではなく、埋蔵の手引きとも言える八門遁甲法により解読をしなければまったく役に立たないように記されているという。

 また一説によれば、埋蔵後、そのうちの二箇所はすでに掘り出されたという。初めて手を付けたのは、関ケ原の戦いの軍費として、もう一回は、大阪城落城後に、真田幸村の家臣、穴山小助が掘り出し、豊臣と繋がりのある薩摩島津家に届けられたという。こちらは秀頼の生存九州落ち延び説に繋がるのだが、そればまた別の機会に。

 ちなみに多田銀山自体の開発は秀吉の時代よりもさらに古く、源満仲より発見されたという説がある。正式の記録として残るもっとも古いものは鎌倉時代で、能勢採銅所が設けられた1037年というのがある。その後も採掘は続けられていたが、秀吉の時代になって、唐から日本に渡ってきた帰化人から技術を習得。先進の採鉱法や精錬法を利用して増産させている。

 ただ、あくまで多田銀山はその名の通り銅や銀鉱山であり、金を産出したわけではなかった。また、銀山としても同じ兵庫県の生野銀山ほどには産出量の多い銀山ではなかったので埋蔵には都合がよかったのだろう。

 豊臣氏滅亡後は、徳川幕府によって運営が再開され、採掘が行われているので、その時まで坑道内に埋蔵されたままだとしたら発見された可能性は高いといえる。そして万が一発見されたとしても公表されることなく、そのまま徳川幕府の懐に入っているのではないだろうか。ちなみに半世紀後の寛文年間には徳川幕府の天領となって、年間で銀1,500貫(約5.6トン)、銅70万斤(約84トン)と秀吉の時代の数十倍もの産出量を記録しているので、坑道内のあらゆるところで探鉱がおこなわれたはず。いかに八門遁甲で隠されたとはいえ、発見されずに現在まで残っていると考えるのは難しいと思うのだが…。

 今回のニュースによれば、自走型のロボットによる探査のようで、あくまで坑道内の状態調査が主な目的。埋蔵金の探査とはまったく趣旨が違うので、万が一にも隠された埋蔵金を発見することはないはず。地中レーダー等の探査機器を搭載していなければ埋蔵金ばかりか新たな鉱床を発見するのも難しいだろう。

 ただ、現在の坑道内の正確な状態を記録してくれるのはありがたいことで、詳細なデータが公開されることを期待したい。

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2011年7月 8日 (金)

石見銀山で未調査の新たな坑道20本を発見!

 本サイトでも、かつて世界遺産登録が実現するかどうか、という時期に何回か取り上げさせていただいた石見銀山。無事めでたく世界遺産に登録されたのは皆様ご存じの通り。
 その石見銀山にちょっと気になる動きが出ている。それは7月7日付けの毎日新聞が報じた以下のような内容なのだ。
『<石見銀山>「新たな坑道」計20カ所発見』
 という見出しで、
『世界遺産・石見銀山遺跡(島根県大田市)の現地調査で、銀を採掘した坑道=間歩(まぶ)=とみられる穴が6月末までに計20カ所見つかったことが分かった。確認されれば、世界遺産登録後初の新たな坑道発見になる。

 同遺跡では銀山中心部で583カ所の間歩が確認されている。島根県教委は今年度から中心部外側の調査を始め、15年度までに銀山全体の規模解明を目指す。

 調査した同市石見銀山世界遺産センターの岩橋孝典・専門研究員は「いずれも人工的に掘った穴で間歩とみられる。5年間の調査でさらに多くの間歩が見つかる可能性が高い」と話している。

 同遺跡は16~17世紀に最盛期を迎えた世界有数の銀山跡。毛利氏や徳川幕府の支配下で経済基盤を支え、大航海時代以降、世界に流通した銀の多くを産出した。07年に世界文化遺産に登録された。【鈴木健太郎】』
 という内容の記事だ。
 石見銀山といえば、太閤秀吉の埋蔵金が眠ると言われる兵庫県の多田銀山と並び、我が国の銀の産出を支えた一大銀鉱山。さすがに江戸時代まで管理された現役銀山だっただけに、派手な埋蔵金の話題こそ無いが、今でも全体像がつかめないほどの巨大な坑道をもつ“パワースポット”と言えるだろう。
 ちなみに一方の多田銀山の方が、何故埋蔵金の舞台となったかといえば、、二度目の朝鮮出兵の後病に倒れた秀吉が、豊臣家の将来を案じて大阪城内の金蔵にあった四億五千万両を、この多田銀山に埋蔵したというのだ。そのために源氏の祖、多田満仲が開いたという由緒正しき歴史を持つ多田銀山を突然閉山してしまい、坑道の奥深くの“瓢箪間歩”に巨万の富を埋めたという。
 現地で埋蔵作業の監督に当たったのが金山奉行、幡野三郎光照と帰化人技術者、今川賀蔵(民振竜)。埋蔵金の一部は大阪冬、夏の陣の時に持ち出され、消費されてしまったが、大半はそのまま残されたといわれる。
 後に幡野の遺書などにより、埋蔵金の事実が知れ渡り、その額の多さと数々の「秘文書」の存在などにより、一躍注目の的となったというわけ。
 八門遁甲によって隠された埋蔵金を説くカギとなる秘文書は「幡野三郎光照遺書」と、光照の子の「和田二郎光盛文書」、振竜の「水抜き秘法」そして、淀君に預けられた肝心の「清水心竜之巻」と絵図三葉という。
 はてさて、石見銀山の“新発見”の坑道から何か出てくる可能性は無いのでしょうか? ご注目を。

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2011年1月27日 (木)

北海道弟子屈町で超優良金鉱発見!

 北海道は道東のほぼ中央部に位置する弟子屈町から金鉱発見のニュースが伝わってきた。釧路新聞が1月13日に掲載したもので、ゴールドラッシュの期待に地元弟子屈町が一躍わいているという。弟子屈町の奥春別という山林で鉱物調査を続けてきた“資源開発”という企業が、昨年、試掘した鉱石をカナダの研究機関に送って分析をしてもらっていた結果が出たのだが、なんと鉱石1トンあたり約30グラムの金含有量というという超優良鉱レベルの鉱石が含まれていたことが判明したという。

 北海道といえば、さぞかし有名な金山が多いのでは思っていたが、ちょっと調べても意外と歴史に残っている金山はほとんど無い。砂金の話題がこれほど多いのに、その元である金山が“空白地帯”なのは不思議でもあるが、まあこちらは鉱山に関してはどシロートなので見当違いなのかもしれないが。

 それはともかく、北海道といえば、北海道の石狩で生まれた畠山清行氏の「日本の埋蔵金」の中の北海道の話は面白い。『蝦夷松前の埋宝』だ。明治維新前、アイヌの遺した黄金にまつわる探索話なのだが、こういった話からも北海道が金に彩られた地であったことが良く分かる。ただそれは川から取れた砂金がメインで、金山、金鉱からの金ではないのだ。

 意外や意外、北海道にはまだまだ発見されていない金鉱が驚くほどあるのだろうか。気になるニュースでした。

--2011年1月27日

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2010年11月21日 (日)

◎埋蔵金関連書籍一覧

 わが国の埋蔵金研究の第一人者であった畠山清行氏。 畠山氏亡きあとも、数々の埋蔵金関連書籍が発刊されてきたが、 その多くが、今も畠山氏の著作をベースにしているというのが現実だ。
 というのも我が国の埋蔵金伝説は、伝承、言い伝えのたぐいがほとんどで、古文書といった実証できる証拠が残っているものはごくわずかで、多くの「真実」は、歳月の中に埋もれていってしまう性質のものだからなのだ。
 徳川幕府の埋蔵金など、かつては、実際におじいさんから聞いたとか 古老の話を聞いたことがあるなど、伝承を口にする方々が実在したが(事実、畠山氏はそういう口伝をもとに調査、取材を行っていた)、いまやそういった証人は全く期待できないのが 現状なのだ。
 ただ、情報化、ハイテク化時代の中にあって、かつては埋もれてしまっていた貴重な資料が新たに発見される といった、可能性もなきにしもあらず。
 また、埋蔵金探しのバイブルといえる畠山氏の著作『日本の埋蔵金』(番町書房 昭和48年)や 同じく『新・日本の埋蔵金』(番町書房 昭和54年)などがすでに絶版(当時の出版社自体が存在しない)となってしまった今、 それをベースに新たな新事実で補強した新刊にはそれなりの存在価値があるといえるだろう。
 ちなみに、『日本の埋蔵金』は国立国会図書館で閲覧できるはず(かつてはできたが現在は未確認)なので、埋蔵金に関心をお持ちの方は一読をおすすめしておく。貴重本なのでくれぐれも大事に!!

  1. 『埋蔵金物語』      (秋鹿 英←畠山清行著/紫文閣/ /昭和14年)
  2. 『埋蔵金秘帖』      (角田喜久雄著/光風社/290円/昭和32年)
  3. 『日本埋蔵金物語』   (小島謙太郎著/第二書房/ /昭和32年)
  4. 『死海の宝発掘記』   (アナー著 白木茂訳/講談社/ /昭和33年)
  5. 『黄金の罠』        (角田喜久雄著/同光社/ /昭和34年)
  6. 『ルポルタージュ埋蔵金物語(一)』(畠山清行著/人物往来社/350円/昭和36年)
  7. 『ルポルタージュ埋蔵金物語(二)』(畠山清行著/人物往来社/350円/昭和36年)
  8. 『宝を探せ』        (トーマス・ヘルム著 井上一夫訳/荒地出版社/ /昭和36年)
  9. 『東京埋蔵金考』     (角田喜久雄著/雄山閣/ /昭和37年)
  10. 『日本の埋蔵金』     (岡田文夫著/早川書房/ /昭和41年)
  11. 『日本宝島探険』     (桑田忠親著/光文社/250円/昭和41年)
  12. 『埋蔵金物語』(歴史選書六)(畠山清行著/人物往来社/ /昭和42年)
  13. 『海底のスペイン金貨』 (Wagner.Kip著 永井淳訳/集英社/480円 /昭和42年)
  14. 『世界の埋宝』      (黒沼健著/山王書房/390円/昭和42年)
  15. 『足もとにあるかもしれない宝の話』/畠山清行著/毎日新聞社/ /昭和43年)
  16. 『世界の黄金伝説』   (篠田八郎著/大陸書房/480円/昭和44年)
  17. 『日本の埋蔵金』上下  (畠山清行著/番町書房/850円/昭和48年)
  18. 『実録埋蔵金35兆円の謎』(水野智之/徳間書店/630円/昭和48年)
  19. 『世界の秘宝をさぐれ』 (畠山清行、川崎竹一著/学習研究社/ /昭和49年)
  20. 『宝を捜せ』        (トーマス・ヘルム著 井上一夫訳/角川書店/ /昭和50年)
  21. 『黄金伝説』        (Moore.Robin ハワード・ジェニングス著 山本光伸訳/角川書店/1200円/昭和50年)
  22. 『信玄の黄金遺跡と埋蔵金』(泉昌彦著/ボナンザ/1200円/昭和50年)
  23. 『眠ったままの埋蔵金』 (畠山清行著/青春出版社/ /昭和51年)
  24. 『世界の宝探し』(エルム入門百科)/中岡俊哉著/エルム新社/ /昭和51年)
  25. 『日本宝島探険』     (桑田忠親著/日本文芸社/ /昭和51年(41年の復刻版))
  26. 『謎の埋蔵金列島』   (神谷次郎著/スポーツニッポン新聞出版局/ /昭和51年)
  27. 『海底の黄金』      (Wagner.Kip著/角川書店/340円/昭和51年)
  28. 『日本の埋蔵金(新装初版)』(畠山清行著/番町書房/ /昭和51年)
  29. 『世界の秘宝』      (畠山清行監修/集英社/ /昭和52年)
  30. 『宝さがしで儲けろ!』 (宝さがし旅の会編/ / /昭和52年)
  31. 『日本の黄金伝説』(九九の謎・歴史シリーズ11)(/サンポウジャーナル/ /昭和53年)
  32. 『新安沖海底の秘宝』  (三杉隆敏著/六興出版/ /昭和53年)
  33. 『世界の財宝』(世界の黄金伝説)(篠田八郎著/大陸書房/1200円/昭和53年)
  34. 『ソロモンの秘宝』    (高根三教著/大陸書房/ /昭和54年)
  35. 『新・日本の埋蔵金』  (畠山清行著/番町書房/1300円/昭和54年)
  36. 『日本の黄金伝説』  (極楽寺三郎著/曙出版/550円/昭和54年)
  37. 『大発見!世界の秘宝』(宮崎 淳著/立風書房/ /昭和55年)
  38. 『東京埋蔵金考』     (角田喜久雄著/中公文庫/ /昭和55年)
  39. 『埋蔵金を捜せ』(びっくり文庫)(畠山清行著/角川書店/ /昭和56年)
  40. 『赤城埋蔵金四百万両の謎』(水野智之著/新門出版社/ /昭和57年)
  41. 『海底の秘宝と埋蔵金』(畠山清行著/日本文芸社/ /昭和58年)
  42. 『日本列島埋蔵金地図』(別冊歴史読本30号)(/新人物往来社/ /昭和59年)
  43. 『海底の黄金』      (山田道幸著/講談社/ /昭和60年)
  44. 『帰雲城燃ゆ・白川郷・騎馬軍団と埋蔵金秘話』(生駒忠一郎著/八重岳書房/1200円/昭和60年9月)
  45. 『一五〇兆円の黄金を探せ』(日本トレジャーハンティングクラブ/大和書房/ /昭和61年)
  46. 『謎の埋蔵金』      (スピリッツ/ケイブンシャ/ /平成2年)
  47. 『世界の秘宝マップ』  (平川陽一著/KKベストセラーズ/480円/平成3年)
  48. 『二〇〇兆埋蔵金の謎を解く』(小林久三著/コスモの本/ /平成4年)
  49. 『徳川埋蔵金伝説』   (八重野充弘著/二見書房/1500円/平成4年)
  50. 『あるとしか言えない』  (糸井重里著/集英社/780円/平成5年)
  51. 『黄金の国ジパングの埋蔵金』(村上直他著/KKベストセラーズ/580円/平成5年)
  52. 『埋蔵金を発見した!』 (八重野充弘著/KKベストセラーズ/800円/平成5年)
  53. 『日本の埋蔵金一〇〇話』(八重野充弘著/立風書房/ /平成5年)
  54. 『徳川埋蔵金の謎を解いた』(要子広堂著/イースト・プレス/1400円/平成6年)
  55. 『赤城黄金追跡』     (水野智之著/マガジンハウス/1300円/平成6年)
  56. 『黄金伝説』        (小林久三著/世界文化社/ /平成6年)
  57. 『ミステリアスPART五謎学・失なわれた財宝』(M・グラシュコ著 大出健訳/大日本絵画/ /平成6年)
  58. 『世界史・呪われた秘宝ミステリー』(桐生 操著/日本文芸社/  /平成6年)
  59. 『一攫千金!黄金秘宝伝説』(八重野充弘著/KKベストセラーズ/490円/平成6年)
  60. 『「もしも…」がズバリ!わかる本・もしも、あなたの庭から埋蔵金が出てきたら…?!』(素朴な疑問探究会編/河出書房新社/480円/平成6年)
  61. 『徹底推理埋蔵金』   (別冊歴史読本95号)(新人物往来社/1500円/平成7年)
  62. 『世界の難破船と財宝地図』(ナイジェル・ピックフォード著/山と渓谷社/3800円/平成7年)
  63. 『日本の埋蔵金』(中公文庫)(畠山清行著/中央公論社/960円  /平成7年)
  64. 『アメリカ黄金伝説』   (エミル・C・シュールマカー著/秀英書房/1800円/1996年9月23日)
  65. 『幻の埋蔵金 佐々成政の生涯』(生駒忠一郎著/KTC中央出版/1500円/1996年10月14日)
  66. 『埋蔵金を掘り当てる!誰でもできる宝探し実践マニュアル』(八重野充弘著/ワールドマガジン社/1165円+税/1996年10月)
  67. 『海賊大将軍の埋蔵金 村上武吉の生涯』(生駒忠一郎著/KTC中央出版/1500円/1997年11月7日)
  68. 『徳川幕府の埋蔵金 小栗上野介忠順の生涯』(生駒忠一郎著/KTC中央出版/1500円/1998年5月)
  69. 『豊臣秀吉の埋蔵金を掘る』(鈴木盛司著/新人物往来社/2400円+税/1998年8月10日)
  70. 『図解財宝発掘マニュアル』(時實雅信著/同文書院/1300円+税/1998年12月25日)
  71. 『黄金結界 ~甲州埋蔵金の謎を解く~』(加門七海著/河出書房新社/1700円+税/1999年12月2日初版発行)
  72. 『埋蔵金の掘り当て方』 (非日常研究会著/同文書院/1300円+税/1999年12月8日初版発行)
  73. 『RIPTIDE 海賊オッカムの至宝』(ダグラス・プレストン&リンカーン・チャイルド著 宮脇孝雄訳/講談社/税別2300円/2000年7月28日第1刷発行)
  74. 『徳川埋蔵金検証事典』(川口素生著/新人物往来社/税別2500円/2001年1月15日初版第1刷(ISBN4-404-02897-0)
  75. 『モーセの秘宝を追え!』(ハワード・ブルム著 篠原慎訳/角川書店/税別819円/2002年8月25日初版発行/ISBN4-04-290801-2)
  76. 『徳川埋蔵金研究会・珈琲音夜話・赤城山に眠る財宝その謎を解くのは…・前編』(東栄義彦著/思門出版会/ /2002年9月/ISBN4-921168-11-3)
  77. 『蒼海の財宝 TREASURE OF THE DEEP』(H.エドワーズ著/井谷善恵編訳/東洋出版/税別1500円/2003年7月30日第1刷発行/ISBN4-8096-7446-0)
  78. 『幕末の深い眠りから覚めるか 幕府の埋蔵金』(太田利政著/新風舎/1700円/2003年11月25日初版発行/ISBN4-7974-3114-8)
  79. 『埋蔵金・邪馬台国の謎解きに挑戦 ミステリーハンティング』(橘高 章著/歴研(歴史研究会)/税込840円/2004年10月28日第1刷/ISBN4-947769-42-4)
  80. 『世界ミステリー 謎をひも解く ありかを明かす! 財宝地図』(黄金伝説研究会・編/竹書房/税込500円/2006年11月7日初版発行/ISBN4-8124-2902-1 C0076)
  81. 『見捨てられた財宝 百兆円』(鬼木和彦著/新風舎/本体1500円/2006年12月15日第1刷発行/ISBN4-289-00492-X C0095)
  82. 『日本の埋蔵金1 キッドの宝』(畠山清行著/たんさく/税込840円/2007年1月24日初刷/ISBN978-4-903288-02-4)
  83. 『ほんとうにあった怖い話コミックス 怪奇心霊語り 埋蔵金発掘の怪奇編』(加門七海、JET著/朝日新聞社/税別390円/2007年10月1日新版第1刷発行/ISBN:978-4-02-275201-7)
  84. 『謎解き紀行 徳川埋蔵金 上 かごめの歌に隠された秘密』(山中廣稔著/随想舎/税別1500円/2007年10月25日第1刷発行/ISBN:978-4-88748-165-7)
  85. 『埋蔵金伝説を歩く ボクはトレジャーハンター』(八重野充弘著/角川学芸出版/税別1500円/2007年11月30日初版発売/ISBN978-4-04-621305-1)
  86. 『日本の埋蔵金2 武田の宝 上』(畠山清行著/たんさく/税込840円/2007年12月10日初刷/ISBN-978-4-903288-03-1)
  87. 『日本の埋蔵金3 武田の宝 下』(畠山清行著/たんさく/税込840円/2008年1月15日初刷/ISBN-978-4-903288-04-8)
  88. 『日本の埋蔵金4 義経の宝』(畠山清行著/たんさく/税込840円/2008年2月12日初刷/ISBN-978-4-903288-05-5)
  89. 『闇の日本史 消えた埋蔵金伝説』(フロッシュ編集/大洋図書/税込420円/2008年4月5日第1刷発行/ISBN978-4-8130-5117-6)
  90. 『日本の埋蔵金5 海賊の宝』(畠山清行著/たんさく/税込840円/2008年6月10日初刷/ISBN-978-4-903288-06-2)
  91. 『図解 世界の財宝ミステリー』(世界博物倶楽部著/PHP研究所/本体952円+税/2009年1月30日第1版第1刷発行/ISBN-9784569705460)
  92. 『廣済堂文庫 全国「隠し財宝」完全マップ』(造事務所編著/廣済堂あかつき/税別648円/2009年4月30日第1版第1刷発行/ISBN978-4-331-65451-4)
  93. 『謎解き紀行 徳川埋蔵金 下 会津の地に眠る一千万両発見』(山中廣稔著/随想舎/税別1800円/2009年10月25日第1刷発行/ISBN978-4-88748-166-4)
  94. 『闇に消えた日本の黄金ミステリー 発掘!埋蔵金伝説99』(ジェイビー編著/コスミック出版/定価500円/2010年2月22日発行/ISBN978-4-7747-5327-0)
  95. 『埋蔵金発見!解き明かされた黄金伝説』(八重野充弘著/新人物往来社/本体1500円+税/2010年8月20日第一刷発行/ISBN978-4-404-03900-2)
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『埋蔵金発見!解き明かされた黄金伝説』

<八重野充弘著/新人物往来社/本体1500円+税/2010年8月20日第一刷発行/ISBN978-4-404-03900-2>

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 ついに真打ち登場! そんな表現をしたくなるような埋蔵金関連書籍が発行された。霞ヶ関の埋蔵金騒ぎ以降“本物”!?の方の埋蔵金関連書籍もちょっとしたブームとなっていた感があるが、まあどれもこれも周知の事実を並べただけ(といっては大変失礼! 当WEBサイトも似たようなものだ)、既出の情報を基に構成するしかないのは致し方のないことかもしれない。
 そんな状況で光るのがフィールドワークこそ命、を実践する八重野充弘さんならではのこの著作といえる。我が国唯一といえる同好の士の集まりである「日本トレジャーハンティングクラブ」の会長さんであり、かつ埋蔵金関連書籍を数々出している八重野充弘さん。さすがに「ここにあるぞ!」的な埋蔵金のハウツー本なんかじゃなく、その先、実際に自らが体験した埋蔵金探索の“現場”をいくつか例を挙げて詳解してくれている。
 角川学芸出版から発行された前作『埋蔵金伝説を歩く ボクはトレジャーハンター』からすれば“HOW TO”的な部分もだいぶ増えたが、それでも実際の埋蔵金探索現場での緊張やドキドキ感が伝わってきて、「自分もひとつ!」の気分にさせてくれることだろう。既出の話もいくつか出てきてしまうが、それもご愛敬。
 ちなみに、埋蔵金の資料本的なものを期待するのは筋違い、あくまでフィールドワークへの誘いと考えていただくのがいい。その手の「ここに行け!」「ここにある!」的な書籍はいくらでもあるのだから。
 話が横道にそれるが、発行元が新人物往来社というのも“箔”というものだろう。新人物往来社といえば、言わずと知れた歴史関連書籍の老舗だ。ちなみにその前身は1952年に創業した“人物往来社”で「歴史読本」の発行元として、歴史関連書籍の発行元の雄としての地位を築き上げてきた。ただ現在は角川グループの一員となってしまっている。
 まあそんなことはどうでもいいのだが、人物往来社は畠山清行先生の『ルポルタージュ埋蔵金物語』の発行元だった、というのは覚えておく必要があるだろう。 我が国の埋蔵金関連書籍のバイブルといえる『日本の埋蔵金』の前身といえる作品を発行してくれたのがこの出版社なのだから。
 とうとう書籍の中身はいっさい紹介せずじまいとなってしまったが、一読をおすすめしたい一冊、としておく。間違いはないはず。

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ついに真打ち登場! そんな表現をしたくなるような埋蔵金関連書籍が発行された。

我が国唯一といえる同好の士の集まりである「日本トレジャーハンティングクラブ」の会長さんであり、かつ埋蔵金関連書籍を数々出している八重野充弘さんが実践した埋蔵金探索の“現場”をいくつか例を挙げて詳解してくれている。『埋蔵金発見!解き明かされた黄金伝説』という書籍だ。

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2010年10月17日 (日)

◎日本各地の埋蔵金


 日本の埋蔵金伝説は全国でおよそ数百! その中でも史料が存在し、ある程度の裏付けが取れるものを残していっても、その数はゆうに百件を超す。

 銀行など無かった昔、戦国時代から江戸時代へかけて、市井でも多くの金銀銭が日常茶飯として埋蔵され、また掘り出されていた。また祭祀などにあたって銭等を埋めることも多く行われていた。
 今日、工事現場などで偶然に発見され“埋蔵金”騒ぎとなるもののほとんどは、それら金庫代わりに地中に埋めていた銭が、当事者、またはその関係者の血縁までもが途絶えたりして、ついに掘り出されることなく今日まで至ったようなケースがほとんど。埋蔵金というより、いわば“埋没金”とも言えるものなのだ。

 ここで言う狭義での埋蔵金とはそれら埋没金とは異なり、当事者が意志を持って、お家の再起をかけ、はたまた子孫に残すべく埋蔵したが、なんらかの理由により、その機会が失われ、そのまま莫大な金銀がただただ地中で眠りについてしまったものを特に埋蔵金として区別されたい。

 我が国の埋蔵金伝説の中でも、特に有名な、三大埋蔵金と呼ばれる、「徳川埋蔵金」、「秀吉の埋蔵金」、そして「結城家の埋蔵金」は、まさにその埋蔵金の典型的なケースだ。ちなみにここに取り上げた日本各地の埋蔵金情報は、まだごくその一部で、現実には全国各地、埋蔵金伝説の無い地方を探すのが難しいくらい津々浦々で伝承されている。

 まさに埋蔵金でも「黄金の国、ジパング!」なのだ。

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 砂金の産地でもある北海道。今でも砂金掘りが楽しめるところがあったりと、金山にも注目できるが、埋蔵金では、先住民アイヌと内地人との抗争による財宝や、松前藩がらみの埋蔵金伝説などが残っている。

 東北の砂金を背景にこの地で勢力を誇った安倍氏だが、勢力拡大を恐れた朝廷により「前九年の役」で滅亡させられてしまった。この直前に、安倍氏は再建をきし財宝を兜明神岳に埋蔵したという。

 関東には埋蔵金の代名詞ともいえる“徳川埋蔵金”やこれまた「三大埋蔵金」のひとつとされる“結城家埋蔵金”など多くの埋蔵金伝説が残っている。赤城山以外にも徳川幕府関連の埋蔵金情報は数多い。

 百十九貫という莫大な黄金を算出し武田家を支えた、信玄の「牛の金鉱」黒川金鉱。圧倒的な財力をバックに信濃、駿河、西上野、遠江と勢力圏を広げた信玄は各所に軍資金を分散して埋蔵したという。

 東の徳川に対して、西はなんといっても秀吉。豊臣家の将来を案じた秀吉は大阪城内にあった4億5千万両を、多田銀山に埋蔵したという。こちらも傍証は多く、追う方も多い。歴史がある地域だけに伝承の数も膨大。

 中世の一大商圏であった瀬戸内海地方。数々の歴史に伴なって埋蔵金伝説の舞台になっている。鳴門茂衛門という大海賊の埋蔵金や瀬戸内海狭しと活躍した村上水軍の埋蔵金など。

 寛永14年の島原の乱で、原城に立て籠もった天草四郎。2ヵ月を越す長期戦でついに勇猛果敢な戦いを示した一揆軍も落城覚悟。6キロの黄金の十字架、金銀製燭台20基、宝石をちりばめた王冠、そして大判小判……。

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◎北海道地方の代表的な埋蔵金

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●武田信広の埋蔵金
【埋蔵額】=砂金(数兆円)
【埋蔵者】=武田信広
【埋蔵時期】=康正年間(1456年頃)
【埋蔵地1】=檜山郡檜山町勝山城跡
【埋蔵地2】=千軒岳(鬱金山)
【背景】=アイヌの大酋長、コマシャイン討伐により北海道に支配権を確保した信広が集めた財宝を、備蓄する 目的で上記の2カ所に分散、埋蔵したというもの。
「わが子孫以外の者が手をふれたら直ちに命を絶て」という呪いの言葉が伝えられている。盗掘防止策の存在を意味するものだろう。城といっても、当時防塁を巡らした館、程度の存在だったはず。千軒岳説では4つの洞窟に隠されたという。

●開陽丸の幕府埋蔵金
【埋蔵額】=15万両
【埋蔵者】=榎本武揚
【埋蔵時期】=慶応年間(1867年頃) 【埋蔵地】=檜山郡江差町字中歌町沖合い
【背景】=幕末の混乱時、あくまで薩長連合に抗戦を求めた榎本武揚らが北海道共和国設立を目的に開陽丸に大阪城から搬出したといわれる公金を積み、江差攻略作戦中に悪天候のため座礁し沈没したもの。
1974年から1988年にかけて江差町教育委員会が発掘を試みクルップ砲や古文書など約3万点の遺物とともに若干の財宝を発見。ただし15万両が積まれていた裏付けは不明。

●源 義経の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=源 義経
【埋蔵時期】
【埋蔵地1】=千歳市恵庭岳
【埋蔵地2】=恵庭市盤尻熊ノ沢
【背景】=東北から北海道にかけて残る義経の「落ち延び」伝説。その真偽のほどはともかく、義経軍の残党がいたことは確実で、この集団が北海道へと渡って、軍資金を埋蔵したというもの。
恵庭岳の北側斜面とする説と、ライマナイ川の流域熊ノ沢に隠されたとする説の二つの言い伝えがある。ただし熊ノ沢は現在の地図には存在しない。

●軍艦吾妻の埋蔵金
【埋蔵額】=白金塊三百貫
【埋蔵者】=日露戦争時の日本軍
【埋蔵時期】=明治38年7月
【埋蔵地】=小樽港外、石狩湾
【背景】=日露戦争の占領地樺太の金融機関から押収した白金など。明治38年6月の日露講和会議後の樺太からの押収品で対応に困った軍部が受け取らず、吾妻が処理したといわれるもの。
かつて引き揚げ作業が行われたが、当時の技術では手がでず。最新技術による引き揚げに可能性は高い。

●カムイ古潭の埋蔵金
【埋蔵額】=砂金多量
【埋蔵者】=アイヌの一族
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=旭川市神居古潭
【背景】=カムイ古潭に近い山中に近辺の川から採集した砂金を先住のアイヌたちが和人の襲撃に備えて穏蔽したというもの。
カムイ古潭にほど近い“魔の谷”と呼ばれる沢。近くの監獄部屋で働いていた男が、病死した仲間の死体を捨てに行って、誤って魔の谷に落ちて発見した、といういわれが残っているそうだが、真偽のほどは定かでなし。

●魔山雷神丸の埋蔵金
【埋蔵額】=金銀財宝(百億円以上)
【埋蔵者】=海賊雷神丸
【埋蔵時期】=幕末
【埋蔵地】=広尾郡忠類村魔山
【背景】=幕末の東北近海で「北海の荒鷲」と恐れられた元南部藩士を頭とする海賊雷神丸。武士くずれとアイヌの手下は勇猛果敢でまさに東北の一大脅威となっていた。これに手を焼いた松前藩が討伐に乗り出したことによりそれまで集めた財宝を陸地に隠そうということで魔山(チョマナイ)奥深くのある場所に埋蔵。そして頭が亡くなり、絵図面が残ったというわけ。
明治に入って確かに幾人かが入って宝の一部を見つけたのではと思える消息も伝えられている。
キーワードは「大樹町の歴船川上流“オヤジ”(熊)の大滝の近く」

☆その他の北海道の埋蔵金

●関川与左右衛門の埋蔵金
【埋蔵額】=小判、朱金あわせて四千両
【埋蔵者】=松前藩の豪商関川与左右衛門
【埋蔵時期】=慶応四年
【埋蔵地】=檜山郡江差町
【背景】=情勢不安から後に託して豪商が埋蔵したもの。1978年に発見された古文書から慶長大判、元文小判、文政小判、天保二朱金を埋蔵したことが判明。教育委員会が文化財として調査を行っている。

●蒜沢の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金
【埋蔵者】=戦に敗れた武士
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=亀田郡七飯町字大川
【背景】=地元の伝承。落ち武者がこの地で最後を覚悟、埋蔵。目印に印籠の中にあった“蒜”を目印に植えたというのがミソ。

●賀張の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭六六四枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=一六世紀中期
【埋蔵地】=沙流郡門別町字賀張
【背景】=偶然に発見された埋蔵金。牧場の暗渠工事で発見。北宋と明銭がほとんどということから一六世紀中頃埋蔵され今日まで眠っていたのだ。このように一時的な埋蔵でも何らかの理由で埋まったままになっている埋蔵金も実に多い。

●鉛川の埋蔵金
【埋蔵額】=砂金
【埋蔵者】=鉛川の砂金堀師たち
【埋蔵時期】=明治維新
【埋蔵地】=山越郡八雲町鉛川
【背景】=函館の五稜郭を占領した榎本軍の接収を恐れた鉛川の砂金堀師たちが、一時避難の目的で隠した砂金が行方しれずに。

●アイヌの埋蔵金
【埋蔵額】=先祖伝来の財宝
【埋蔵者】=アイヌの酋長ヨコウシ
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=標津郡標津町
【背景】=アイヌに残る埋蔵金伝説。この地の酋長が娘の婚姻に対立する酋長に不意を襲われ財宝を隠したと言われるもの。

●秋田藩の埋蔵金
【埋蔵額】=金の延べ棒五箱(推定三十億円)
【埋蔵者】=秋田藩
【埋蔵時期】=明治三年
【埋蔵地】=上川郡新得村
【背景】=明治政府の私鋳貨幣通用禁止令を元に、査察にきた政府の監督使に私鋳金を没収されるのを防ぐため、遠く上川郡に埋蔵。そこは十勝川を遡った“トムラウシの函”と呼ばれる所だったという。1982年、地元の新得町と観光協会、山岳会などによるトムラウシ洞窟探検隊が一般の応募者とともに探索した記録が残ってい。

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◎東北地方の埋蔵金

Tohoku


●安倍貞任の埋蔵金(岩手県)
【埋蔵額】=黄金延べ棒九本、延べ板十五枚、砂金多量
【埋蔵者】=安倍貞任
【埋蔵時期】=前九年の役(十一世紀中頃)
【埋蔵地】=下閉伊郡兜明神岳麓
【背景】=平安時代の東北の豪族、安倍氏の金塊が眠っている。
東北地方を潤した砂金をもとに勢力を誇った安倍氏だが、朝廷は源頼義を陸奥守に任じ、武力で制圧をはかった。前九年の役だ。
この前九年の役で滅亡する前に、再建をきした貞任は財宝の一部を兜明神岳に埋蔵したという。残された言い伝えでは、閉伊川の源と北上川の源、二説があるが兜明神岳であることは間違いない。埋宝地を示すという巻物が存在しそれをもとに数々の人が挑戦している。

●小松大尽の埋蔵金(岩手県)
【埋蔵額】=砂金の壺三個、黄金の杯五個、黄金作りの刀剣など
【埋蔵者】=小松大尽
【埋蔵時期】=藤原三代の頃
【埋蔵地】=遠野市小友町
【背景】=小友川や猿石川を拠点に砂金を採集して小松大尽と呼ばれる長者がいた。その長者の子供達の相続争いが埋蔵金伝説の元となっている。
腹違いの兄弟で、本妻の子に相続させまいと留守に乗じて遺産を五つに分割、三つの峰と二つの沢に隠した。 結局は陰謀が暴露され、二つは世に出たが、残りの三つは埋もれたままになっているという。
その後、発掘を試みる人があり一分を発見したと思われる出来事も伝わっている。

●炭焼き籐太の埋蔵金(宮城県)
【埋蔵額】
【埋蔵者】=炭焼き籐太
【埋蔵時期】=平安末期
【埋蔵地】=宮城県栗原郡金成
【背景】=奥州の金売吉次と言えば、義経記」などに登場する奥州藤原一族を陰で支えた強力ブレーン。その金売吉次、吉内、吉六ら兄弟の親が金成の炭焼き籐太と言われる。
「心の素直な炭焼きが神仏のご加護で金を発見」と伝説では伝えられるが、その実は“金鉱掘りの特殊技術者集団”が籐太一族の実体だったのだろう。
籐太には、黄金を投げたという金沼、炭を焼いていたという金山沢、そして金山原という屋敷跡、などが残っている。

●西村久左衛門の埋蔵金(山形県)
【埋蔵額】=黄金
【埋蔵者】=西村久左衛門
【埋蔵時期】=江戸時代中期
【埋蔵地】
西置賜郡白鷹町最上川上流 【背景】=京都の豪商、西村久左衛門は米沢藩への回船の乗り入れを計るため最上川の難所、黒滝を改修。直接船を米沢藩まで遡れるようにしたことで、巨万の富を得ることができたという。費用実に一万七千両。その左衛門が子孫のために最上川沿いの家の地下に黄金多量を埋蔵した。
そして、時代は下って、昭和三十六年。付近の川で水遊びをしていた子供が小判八枚と二分銀を発見。さらに小判二十枚、二分銀が多量に拾われるにいたって、久左衛門の埋蔵金が何らかの理由で流れ出したと一躍時ならぬ埋蔵金探しの騒動になったという。

●葦名義広の埋蔵金(福島県)
【埋蔵額】=金塊
【埋蔵者】=葦名義広
【埋蔵時期】=天正年間
【埋蔵地】=会津若松市
【背景】=伊達政宗と戦って破れた葦名氏が落ち延びる途中で百頭あまりの馬に積んだ金塊や延べ棒を猪苗代湖に沈めたという。
鎌倉幕府以来の名門、葦名家だけにその財宝は相当なもの。野盗や落ち武者狩りの手から逃れるためには身軽になる必要があった。事実、葦名氏筆頭家老の手記など文献に記され信憑性は高い。
逃亡の経路は、会津若松から東山温泉、飯盛山を通って猪苗代湖西北岸そのまま湖に沿って須賀川から常陸の国を目指したと言うから、沈められた可能性の高いのは猪苗代湖の南端か。


●川越家の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=川越家
【埋蔵時期】=江戸時代中期
【埋蔵地】=南津軽郡藤崎町大字藤崎字武元
【背景】=藤崎村の庄屋だった川越家に代々伝わる口伝によれば同家の先祖が金銀財宝を備蓄のため屋敷内に埋蔵したという。昭和20年代、実際に埋蔵金を探した人もいるが、未発見と言う。

●油川城の埋蔵金
【埋蔵額】=軍用金数千枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=青森市西田字浜田
【背景】=油川城主が配線を覚悟して、城内に後の軍用金として金子数千枚を埋蔵したという言い伝えが残る。目印は埋蔵金の上に植えられたという若竹だった。

●五輪塔遺跡の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=南津軽郡平賀町大字岩館字長田
【背景】=五輪塔遺跡の発掘を行っていて偶然発見した古銭。北宋銭(治平元宝、元宝通宝)ほか、明銭(永楽通宝)、和銭(寛永通宝)など。

●坊主屋敷の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=南津軽郡平賀町大字館山字亀岡
【背景】=“坊主屋敷”と呼ばれていた場所を整地中偶然に発見した古銭。五朱銭を始め五十五種、五銭六百十二枚。

●九十九森の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=西津軽郡木造町吹原
【背景】=吹原にある弘法寺の九十九森には埋蔵金伝説がある。かつてこの地を掘った人が古銭を発見したという。

●深浦町沖合いの埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=沈没した南部藩の軍船
【埋蔵時期】=文政年間
【埋蔵地】=西津軽郡深浦町沖合い
【背景】=南部藩の財宝を積んだ軍船が深浦町の沖合いで沈没。大正初年に深浦町の沖合いで小判三枚が引き揚げられたほかその沈船から打ち寄せられたと思われる十四枚の小判が近くの車力町の海岸で拾われた。また昭和三十年には三十キロの銅板二枚が付近の海底から引き揚げられている。
●天間林の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=上北郡天間林村
【背景】=昭和51年、自宅近くの畑を耕していた農夫が寛永通宝や政和通宝など古銭数百種、合計一万枚近くが詰まった瓶を掘り出した。


●だんぶり長者の埋蔵金
【埋蔵額】=高さ三尺、四十八体の黄金の人型
【埋蔵者】=だんぶり長者
【埋蔵時期】=六世紀頃
【埋蔵地】=二戸郡安代町平又
【背景】=全国各地に聞かれる“だんぶり長者伝説”のひとつ。この地の長者であった分限者が子宝祈願に人型の黄金四十八体を敷地内に埋めたというもの。めでたく子宝に恵まれたということだがこの手の言い伝え、多分に修身訓話的な物語と考えた方がいいのでは。

●岩泉の埋蔵金
【埋蔵額】=一分金三千八百九十枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=下閉伊郡岩泉町
【背景】=昭和三十八年、岩泉町で一分金三千八百九十枚が発見。時代背景は安倍の埋蔵金よりぐっと下がって江戸時代の埋蔵か。

●正清の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=武士正清
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=下閉伊郡田老町真崎
【背景】=こちらも下閉伊郡の言い伝え。当地にあった剛腕の武士、正清が「朝日とろとろ夕日輝く曽根の松うるしまんばい、金おくおく」の言い伝えを残して財宝を隠したというもの。

●うつぎ屋敷の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=うつぎ屋敷の長者
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=水沢市瀬台野
【背景】=北上川の近くに一面のうつぎが植えられた長者の屋敷があった。その長者が北上川の氾濫で流され、後に埋蔵金の言い伝えとなった。

●佐倉河の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=鎌倉末から南北朝期
【埋蔵地】=水沢市佐倉河字西舘
【背景】=耕作中の農夫が水田より四十八種、三千三十七枚の古銭を掘り当てる。漢代の五銖から南宋の咸淳元宝など。

●太田の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭
【埋蔵者】=平泉藤原氏の血をひく御用商人
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=花巻市太田
【背景】=耕作中の農夫が木箱を発見、中には漢代の五銖、唐銭、五代十国銭、北宋銭、南宋銭など、五十種近く、総数四千六百五十九枚が固まって出土したという。

●森子山の埋蔵金
【埋蔵額】=軍用金六万両
【埋蔵者】=稗貫氏
【埋蔵時期】=天正年間
【埋蔵地】=花巻市高木
【背景】=秀吉による領地没収を恐れたこの地の領主、稗貫氏が 森子山の山頂に埋蔵したとの言い伝え。

●円万寺館の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=円万寺氏
【埋蔵時期】=中世
【埋蔵地】=花巻市膝立観音山
【背景】=前出の稗貫氏の重臣だった円万寺氏にも埋蔵金伝説がある。「黄金億々と漆の杯を館近くの旭さす夕日輝く三つの葉の葛のある所に埋めた」という内容が、円万寺氏の史書に記録されていたという。

●梵字沢館の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=遠野市山口
【背景】=梵字沢館の跡に残された埋蔵金伝説。宝の在処を知っている と言う老人が言い残そうとした言葉が元に。

●刈明館の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=戦国時代
【埋蔵地】=西磐井郡花泉町
【背景】=花泉町に居を構えた寺崎氏。その寺崎氏が没した後に「朝日さす夕日輝くその下に、漆万杯。黄金億々」の伝説あり。目印にほうずきが植えられていたとも。

●金鶏山の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金作りの鶏二羽、漆一万盃に黄金一億両
【埋蔵者】=藤原秀衡
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=西磐井郡平泉町
【背景】=奥州藤原氏が栄華を誇った平泉、秀衡が菩提寺の鎮護を込め中尊寺前に築いたといわれる金鶏山。その金鶏山に黄金作りの二羽の鶏などを埋蔵したとの言い伝えがある。


●長者原の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金と漆
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=古川市川熊字長者原
【背景】=その名の通り当地に住んでいた長者が、一人娘に対する地頭の横やりを恐れて出羽の国に移住を決意。そのときに黄金と漆を埋蔵という。目印に白南天を植えたという。

●銚子ヶ森の埋蔵金
【埋蔵額】=金の銚子
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=白石市銚子ヶ森
【背景】=その昔、金の銚子を埋めたと言い伝えられた塚がある。塚そのものは東山道の要衝として広く知られているもので、寛永年間に発掘の記録有り。ただしその時は大きな平石が出たのみ。

●佐々木家の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭
【埋蔵者】=佐々木家
【埋蔵時期】=江戸時代
【埋蔵地】=栗原郡若柳町
【背景】=農家の母屋を改築のための地ならし中に壺に入った古銭を発見。慶長一分銀など、銀貨三百三十二枚。


●院内銀山の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=秋田藩
【埋蔵時期】=戊申戦争時
【埋蔵地】=雄勝郡院内
【背景】=秋田藩の隠し金山に備蓄してあった埋蔵金が戊申戦争時のどさくさで行方しれずに。隠し金山一体が奥羽列藩同盟から攻撃を受け多くの坑道が破壊されている。その額数億から数百億まで。

●鳥海山麓の埋蔵金
【埋蔵額】=小判、一分金
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=由利郡象潟町
【背景】=当地の農夫が畑を耕作中偶然白磁の壺を発見。中には小判七十枚、一分金八十枚が入れられていた。旧地主の村上氏の先祖が戊辰戦争当時に埋蔵したものか。

●朝日長者の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=朝日長者
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=秋田市寺内
【背景】=秋田県内の各地に残る「朝日さす、夕日輝く木の下に漆万杯、黄金億おく」の言い伝えのひとつ。朝日長者、夕日長者の伝説はこのほかにも仙北郡太田町、協和町、干畑町、雄勝郡稲川町、由利郡象潟町など多くみられる。
●脇本城の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金の茶釜
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=男鹿市脇本
【背景】=脇本城の落城時に城の中の井戸に金の茶釜が投じられたというもの。また城下の大倉では古銭二十一種、八千八百枚の出土が報じられている。

●十三本塚の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=鎌倉時代
【埋蔵地】=雄勝郡羽後町
【背景】=十三個の塚のうちひとつが崩壊したときの調査で古銭(宋銭)や金片などを発見。

●本城の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=北秋田郡森吉町
【背景】=森吉町本城の原野で作業をしていた農夫が偶然古銭を発見。開元通宝から永楽通宝まで中国銭五千六百枚あまり。

●榧森判官の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=北秋田郡森吉町
【背景】=森吉町根小屋にあった判官屋敷が襲撃されたとき、居城の井戸の中に財宝を投じ、上から石を詰めて隠したという。

●尼館の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=北秋田郡森吉町
【背景】=森吉町巻淵にあるかつて尼館と呼ばれた大久保山。そこにあった城が落城の時、宝を埋めたという伝説が残っている。

●羽黒埋蔵金
【埋蔵額】=一分金百四枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=横手市羽黒町
【背景】=羽黒町の小学生が偶然一分金の入った壺を発見。慶長、正徳 享保の一分金で全部で百四枚が見つかった。


●北畠顕信の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金千両ほか
【埋蔵者】=北畠顕信
【埋蔵時期】=南北朝時代
【埋蔵地】=最上郡船形町
【背景】=北畠顕家の弟、顕信が落ち延びてきて当地に隠れ住んでいたがやがて庄内に移住するとき「この原に黄金千両、漆万杯、朱千杯」と書き残したという。去っていくのに黄金を埋蔵するのは不自然だが。

●権太夫の埋蔵金
【埋蔵額】=朱砂一壺、黄金一壺
【埋蔵者】=権太夫
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=米沢市御廟
【背景】=上杉家の御廟所のそばに権太夫と言う長者が住んでいた。権太夫は八郎沼に住む蛇の化身から善行のお礼に使っても使ってもなくならない黄金の小袋をもらったという。その権太夫が亡くなるとき「行けば五里、帰れば七里、朝日さす夕日輝く木の下にあり」という黄金の在処を示す言葉を残したという。

●羽黒山黄金堂の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金千両
【埋蔵者】=源頼朝
【埋蔵時期】=鎌倉時代
【埋蔵地】=東田川郡羽黒町手向
【背景】=源頼朝が奥州討伐時に戦勝祈願のお礼に建てた応化堂。本来は平泉の金色堂を真似て金箔を貼る予定だったが、急遽本堂の羽黒権現にあわせて素木造りにしたため、余ってしまった黄金を縁の下に埋めて奉納したという。黄金堂と言われる由来でもある。

●善太郎家の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金
【埋蔵者】=善太郎家
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=西村山郡西川町
【背景】=豪農の善太郎家が残した埋蔵金伝説。「朝日さす夕日輝く木の下に、黄金千両、漆千杯」の書き付けが伝わっている。


●長岡藩の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=長岡藩
【埋蔵時期】=戊申戦争時
【埋蔵地】=南会津郡只見町
【背景】=戊辰戦争の軍資金を会津に回送中の長岡藩士たちが、官軍の急追を察知して浅草岳山麓に軍資金を埋めたという。ただ、急をうけて途中の池に投じた、と言う説もあり埋蔵金として残るならこちらか。

●小倉沢の埋蔵金
【埋蔵額】=金塊
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=江戸時代初期
【埋蔵地】=郡山市湖南町
【背景】=湖南町の赤津字小倉沢一帯は会津蒲生氏の時代に盛んに掘られた金鉱があった。この金鉱や経沢の金山で掘られた金の一分を鉱夫たちが密かに小倉神社の境内に埋めたという言い伝えが残っている。

●虎丸長者の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金
【埋蔵者】=虎丸長者
【埋蔵時期】=前九年、後三年の役
【埋蔵地】=郡山市虎丸
【背景】=源義家の東北成敗の遠征で食料の供給を求められた当地の長者が供出を拒んだ為、義家に滅ぼされてしまった。その時に財宝を埋めて逃げたと言う伝説。「黄金千杯漆千杯朝日さし夕日輝く木の下にあり」。

●米長者の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金
【埋蔵者】=米長者
【埋蔵時期】=前九年、後三年の役
【埋蔵地】=二本松市郡山台
【背景】=郡山台に居を構えていた米長者(虎丸長者とも)が郡山市の虎丸長者同様、義家に対する供応を拒んだ為滅ぼされ、埋蔵金伝説が残された。こちらは「三つ葉うつ木の下」で、実際に二本松の藩主が幕末に探索したとの記録まで残っている。

●四本松の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=安達郡岩代町
【背景】=かつて四本松城の本丸があったとされる岩代町の長折字四本松。この地の名家の家計図の裏に「朝日さす、夕日輝くたんぽぽの、北の稲荷に恩を埋める」の書き付け有り。

●銭森長者の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金
【埋蔵者】=藤原保祐
【埋蔵時期】=貞元年間
【埋蔵地】=大沼郡三島町
【背景】=三島町の西方にその財は森を埋めるほどで銭森長者と言われた平泉の藤原一族の保祐が残した埋蔵金伝説。西方には長者の石祠が残る。

●“勿来の関”の古銭五十種
【埋蔵額】=開元通宝、元祐通宝、五誅銭など五十種
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=いわき市
【背景】=福島県の郷土史研究家が“勿来の関”(なこそ)の研究する上で長年発掘収集した古銭が五十種にもなったという。勿来、大槻天神宮上ノ大古道や大野八幡神社古道など四本の古道から発掘したという。西暦元年の五誅銭など五十四枚に。

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